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くまちゃん


■公開:1992年

■制作:ポニーキャニオン

■監督:小中和哉

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:草刈正雄

■寸評:


 現代彫刻家・草刈正雄は離婚したばかり。小劇団の女優の卵の恋人・川合千春がいるが、年齢差が二十もあるので、お互いにひかれ合っていながら、なかなか素直になれない。ある日、草刈の家に謎の生物・くまちゃんが現われる。この「くまちゃん」はどこから見てもこぐまのぬいぐるみであるが、メシは喰うわ、酒は飲むわ、生意気に草刈の恋愛指南までしてくれる、ありがた迷惑な奴なのだった。

 「くまちゃん」は宇宙人。「ET」を今観るとあのブサイクな宇宙人は全然かわいくない。なんであんなに日本中が感動したのか疑問である。が、ここが大切なところ。クリーチャーのデザインなんて本当はどうでも良いのだ。それをいかに信じ込ませるかが、映画を子供だましにするか、大人がだまされたくなるような作品に成し得るかの分かれ目。

 この映画はどうだったかというと、どっちにもならなかった。子供をだますにしては色気が多すぎ、大人がだまされるにはあまりにも安易、というのが率直な感想。

 この映画はマペットの「くまちゃん」を利用した、いわば腹話術のようなものであるから、いかにそれを媒介にして活躍する生身の人間の唇を動かさないようにするか、つまりあたかも「くまちゃん」を一人のキャラクターとして、独立した狂言回しとして、いかに上手く立ち回らせるかがポイントだった。相手をさせられた草刈正雄の芝居がかなり重要なのだが、、、。

 イキナリ部屋に現われた「くまちゃん」に対する草刈の、おらが村さのミュージカル的クサイ狼狽演技はかなり冷や汗ものだったのでは?。へっぽこビブラートのくどい台詞回しで「お前は俺の幻影だ!」とのたまう姿。ああ、やっぱりこの人はモデルで止めときゃ良かったのに、と同情した次第。一生懸命さは分かるんだが、見ていてツライ。

 で、ようするに「くまちゃん」をとりまく他の人間達を見ていても、「くまちゃん」本体を見ていても、「イイトシこいた大人が、、お前らバカじゃねえのか?」と鼻白んでしまう。あまりにも、あざとくて。仕掛けの人形よりも生身の川合千春のほうが、よっぽどリリカルで、SF的で、素敵だった。

 そして「くまちゃん」の宇宙船がこれまたトホホ。宇宙船は「くまちゃん」のイルミネーションがギンギン。仲間はみんな「くまちゃん」なので、それらが地球のお祭り騒ぎに浮かれて、団体でやってくるんだけど、それを見た地求人がみんな突然、純真な人になってハッピー、ハッピーとなる様も、私の理性の許容範囲を超えていた。ミョーに柔和な笑顔で踊るのは止せ!田口トモロヲ!観ているこっちが恥ずかしくなるじゃないか!

 作るほうが途中で照れてしまった部分があったのではないだろうか?もっとストレートに、ひたすらカワイく「くまちゃん」を活躍させてほしかった。照れちゃいかんよ、何事も。客を照れさせるのはもっといかんけどな。

1997年12月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16