「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


鳳城の花嫁


■公開:1957年

■制作:東映

■監督:松田定次

■製作:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:大友柳太朗

■寸評:


 鳳城の殿様・大友柳太朗は世間知らずのウブな気性のためなかなか結婚できない。城の年寄り連中はなんとか縁談を成功させようと躍起になる。それじゃあ自分で花嫁を探してくるぞ!と殿様は城を飛び出してしまう。

 お金なんかさわったことのない殿様は茶屋の料金を「よきにはからえ」と笑って踏み倒し、愛の告白に舞い上がって蛸を一匹まるごと飲み込んだりする。

 「私の兄さん」(1934年、島津保次郎・監督)と同じく、シナリオのヒントは、お金持ちのお嬢様(本作品ではお坊ちゃま)が家を飛び出して結婚相手にめぐり合うコメディ、フランク・キャプラの「或る夜の出来事」です。

 町家に迷い込んだお殿様のカルチャーショック。日本で最初にシネマスコープというワイド画面の技術を使ったカラー作品だそうですね。「鳳城の花嫁」は映画の内容よりなにより技術的な付加価値でもって現代に名を残しています。そう、それはエリザベス・テイラー主演のハリウッド太っ腹映画の金字塔、その制作費だけが有名な「クレオパトラ」のようなものですね。

 怪傑黒頭巾で丹下左膳の大友柳太朗。凛とした気品と豪放磊落で華やかな大スター、だけど主演作品の殆どが大衆娯楽作品だったのがこの人の評価をイマイチにさせているようですね。もちろんあの衝撃的な最期(御自宅のマンションの屋上から投身自殺、遺書だかによると「老醜をさらしたくない」という理由だったそうです)は大友柳太朗の全盛期の映画を知っている(リアルタイムでなくても)私には切なすぎるわけですけれども。

 大友柳太朗は東映のスターの伝統をよく体現していた一人だったと思います。お客(特に子供)が喜ぶのならなんでもやる、マンネリだろうがなんだろうがヒーローはいつもカッコよく、映画は夢産業だということを胆に銘じているような、そんな真摯さですね。おまけにお下品な豪傑話も有名らしいですし、実際モテたでしょうね、祇園あたりで。

 だからこのバカ殿、と言っても世間知らずなだけですけど、を意気揚々と胸を張って演じてくれるんですね、潔て清々しく。当時の男性としてはタッパのある大友がオロオロしたりする姿は母性本能刺激しまくりです。猿のぬいぐるみと真剣に人生を語り合うC・ヘストン先生のような、これがプロだぞ、と身をもって教えてくれているような姿勢に思わず胸を打たれてしまいます。

 男はほんとどいつもはバカでいいんですよ、この殿様のようにあくまでもノーブルじゃないとヤですけど、昼日中大通りをキンキラキンの衣装でさわやかに歩く、でも町娘の危機には俄然張り切って悪者をやっつける。やっと好きになった相手には自分の気持ちをうまく切り出せない。そんなモジモジ具合がいいんですね、のどかでね。

 大友柳太朗は新国劇の出だからでしょうか、やたらとパフォーマンスが派手なんです。パントマイムまがいの(悪い意味ではなくて)所作がとても分かりやすいんです。最近の、なんていうか心理描写っていうやつですか、客を睨みつけたり、無表情なのが芝居だ!みたいな小賢しい自己陶酔じゃなくて「私は今、困ってます!」と一発で分かる芝居、それが大友柳太朗のポリシーです。

 二枚目で豪傑で明朗でお茶目、いつでも前向きな大友柳太朗のハッピーな時代劇。思えばその後の変身ヒーローものの元祖が黒頭巾なんじゃないでしょうか?ってことは藤岡弘や宮内洋の大先輩にあたるのが大友柳太朗なのかもしれませんね。

 「鳳城の花嫁」みたいな分かりやすい誰が見ても楽しい映画を軽く見るのは好きじゃないです。情念が描かれてなければ「エラくない」なんてのはキライですもん。見終わったあと、大友柳太朗にポン!と肩の一つも叩かれたような気分になる、そんな映画です。

1997年09月10日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16