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地平線がぎらぎらっ


■公開:1961年

■制作:新東宝

■監督:土井通芳

■製作:

■脚本:土井通芳、内田弘三

■原作:

■撮影:藤原新爾

■音楽:松村禎三

■美術:

■特撮:

■主演:ジェリー藤尾

■寸評:


 宝探しは冒険談の定番。お宝をめぐって育ちの良くない大人が入り乱れるのが本作品。監督の土居通芳はテレビ時代劇なんかのほうが有名かもしれないが、このような日本人離れした(主役の面相だけでなく)ドライなアクション映画を作れた傑出した人材だったということだが、新東宝の倒産のあおりで劇場公開映画の作品はあまり多くない。49歳で亡くなっている。

 シャバで悪事を働いた五人の囚人。ある日、恐ろしく生意気な新入りが現われ、房の秩序はかき乱される。先住者のカポネ・多々良純、教授・天知茂、バーテン・沖竜二、海坊主、色キチは、新人のマイト・ジェリー藤尾にヤキを入れるが、ジェリーが巨額のダイヤモンドの隠し場所を知っているらしいと分かると急に態度を変え脱獄話を持ちかける。

 先に出所した海坊主の女房からヤスリを手に入れて格子を切断するがあと一歩というところで失敗。今度は作業中に暴動を起こし看守の目を引き付ける作戦。ところが刑務所の中は迷路のようで行く先々に頑丈な扉がある。やっと外の光が見えたと思ったらそこはなんと処刑場。死体の搬出口があるはずだと探すが、鍵は扉の外。なんだかんだとハラハラさせておいて、一行はマンホールからの脱走に見事成功する。

 雑貨店で衣類を調達(泥棒)し、海坊主の自宅を目指す。先に到着した色キチを欲に目が眩んだ海坊主が殺そうとして返り討ち。残った五人は製薬会社の宣伝バスを強奪し、ジェリーの案内でダイヤの隠し場所である地平線がぎらぎらしたところを目指して出発する。

 途中で田舎町の駐在に正体がばれそうになったりするが、まだテレビが普及していない頃なので面が割れず宣伝用の扮装も役立ち、なんとか突破する。ハイキングに来ていた娘を襲おうとした色キチは多々良純に殺された。男と逃げた女房・万里昌代を追った沖竜二は、錯乱して包丁を振り回して取り押さえられる。これで分け前が増えたと喜ぶ多々良純と天知茂。

 田舎娘がジェリーとくっつく。ところがジェリーは蝮に噛まれてしまう。瀕死のジェリーのために医者を呼びに行った娘。多々良純と天知茂はジェリーを引きずってダイヤが埋めてあるらしい柿の木の下へ。ここで多々良純が天知茂を射殺、これでダイヤが独り占めできると喜んだ多々良純に「あれは嘘だった」と告げジェリーは死ぬ。怒り狂った多々良純がジェリーの頭を石で叩きつぶそうとした瞬間、天知が最後の力をふりしぼり銃を撃つ。脱獄囚達は全員死んだ。本当にダイヤはなかったのか?それは永遠の謎のまま映画は終わる。

 欲のためなら仁義も仲間もなにもかもかなぐり捨て狂騒する男達。普通の善良な人々がいきなり狂人のようになるわけではなく元々そういう素養のある人達なので非常に納得しやすい。ジェリーの壮大な嘘に最初は半信半疑なのだが、「信じたい」という欲望が勝利してしまう姿が滑稽である。

 金ために自滅していく餓鬼どもを眺めている(自分が殺される心配はないので)ジェリーの乾いた視点。彼の目的は自由になることだけ。ジェリーだけが純粋で奔放で素直、だから一番の狂人だと言えるのかも。

 逃亡中のスリルとサスペンスの数々は現在から見ると少々かったるいのではあるが、そのじれったさが逆にハラハラ感を増幅させる。囚人達は仲間のほかにバスの運転手などサクサク殺人を重ねるのだがこれらを実に淡々と描くところが秀逸なブラックユーモアである。

 コミカルでありながら「ダイヤは本当にあるのか?」という観客の好奇心をがっちりつかんで最後まで引っぱるスピード感こそが、この監督のウデの見せ所。カットやアップの使い方がテレビ的なのでちっとも古くさく感じないアクションコメディ映画。

1997年08月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16