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太平洋の翼


■公開:1963年

■制作:東宝

■監督:松林宗恵

■製作:

■脚本:

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:三船敏郎

■寸評:笑わない加山雄三。


 太平洋戦争末期、海軍航空隊の三船敏郎は生き残っている優秀なパイロットを松山に集結させ新型戦闘機・紫電改に搭乗させる。特攻攻撃を主張する指令部の意向を無視し、あくまで戦闘によって制空権を奪い返そうというのだ。三人の優秀なパイロット加山雄三佐藤允夏木陽介はそれぞれ隊を率いて大空を駆け巡る。

 「太平洋の嵐」でもそうだったけどこの監督の戦争映画にはいつも無常感が漂っていますね。華々しい空戦シーンよりも、出撃の度に集合する隊員がどんどん減っていく様のほうが観客の胸に迫ります。1回の戦闘で一月分の戦果を上げたという報告に意気揚々となりますけど、それだけ日本の防空力が疲弊していたということですね。

 いつもの通りに夏木陽介は熱血漢で佐藤允は豪快、が、今回の加山雄三はかなり特異。内地へ戻る輸送機が攻撃され機体を軽くするために戦死した部下の遺体を捨てさせたり、とにかくハード。部下の姉が戦死の状況を聞きに来ますが、ここで星由里子の登場はお約束ですが、ここでも苦悩する男の姿。若大将モノだけが加山雄三の持ちネタじゃないですね、こういう複雑で悲壮感漂うキャラクターももっと評価されてほしいところです。

 あくまでも特攻攻撃に反対している三船ですが、じわじわと戦況が悪化してきます。戦艦大和の沖縄特攻作戦の出撃を見送るだけだったはずの夏木陽介はたまらず同道しついに帰って来ません。ゼロ戦の機影を見て「俺たちは見捨てられたのではない!」と大和の甲板で手を振る仲間を見たら、誰だって帰れないですよね。それを見た加山が戦隊の最交尾について他の仲間が追随しないようにします。でも本音は後を追いたかったんでしょう。

 そして最後に残った加山も押し寄せる連合軍の艦隊に「日本の空から出て行け!」と血を吐くように叫んで機もろとも突撃します。現場で戦って目の前で味方が殺されるところを見たら、敵は一人残らず殺そうと思うでしょうね、それは人間の本能だと思います。モノの善悪なんてそこにはない、ただ生存しようとする本能だけが支配する、それが戦場だと、それは体験した年代の監督(と出演者)にしか理解できないんでしょうね。共感しようとしてもこれは無理です。

 この映画に見ている現代人である私は特別な感慨を持ってしまうのが西村晃の登場です。だって本物なんでしょ?特攻隊員として待機中に終戦になった、と資料にあるから。劇中、ほとんど喋らないんだけどなんか思わず居ずまいを正してしまいますね。それは演る側の問題ではなく見る側の思い入れなんだけれども。

 珍しく脇に渥美清が出てました。達者に演るのだけれど、やはり脇では不完全燃焼気味に見えてしまいます。目立ちすぎ、、かな?現代的でおとなしい東宝の俳優さんの中に混ざったせいかな?。

 映画の最初のほうで加山が内地に戻るとき戦死公報が出ているからと特攻隊にまわされてしまう兵隊がいます。ここで極度に事務的に戦死公報の事実(誤報なんだけど)を告げる織田政雄が抜群に上手いです。織田政雄といえば、地味で貧乏がトレードマークみたいになってますがそういう生活感が出せる人が本当に芝居が上手いと言えるのでしょう。今回も観客がむかむかするほどフツーの人でした。

 これは戦争賛美の映画ではありませんね。最後に三船敏郎の口を借りて戦後の子供達が遊ぶおだやかな海辺の映像に「みんなが願った平和だ」と独白させます。

 「死んでいった人達を忘れないでほしい」監督が言いたかったことはこれでしょう。後年の解釈によってこの戦争に対する考え方は様々です。「もっと加害者として反省しろ」とか「戦争に加害者なんていない、ごく一部の指導者以外はみんな被害者だ」等など、、まあ色々とかまびすしいわけですけれども、結局のところ「平和がいちばん」っつうことです。さすが和尚(松林宗恵監督の実家はお寺、なのでこのニックネームがついたとか)。

1997年08月20日

【追記】

2003年01月06日:本作品における中丸忠雄の出演シーンはほんの数十秒。見事な丸刈りの特攻隊員役でダイヤモンドライン(加山雄三、佐藤允、夏木陽介)を怒鳴り散らす。見逃さないようにしてね!

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16