昭和残侠伝 死んで貰います |
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■公開:1970年 ■制作:東映 ■監督:マキノ雅弘 ■助監:沢井信一郎 ■脚本:大和久守正 ■撮影:林七郎 ■音楽:菊池俊輔 ■美術:藤田博 ■主演:高倉健 ■寸評: |
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東京の下町の料亭の息子だった高倉健は、家出をしてやくざになり刑務所へ入る。後を任されたのは板前の池部良。関東大震災が起った後、町にならず者の諸角啓二郎の一党が入ってきて、高倉健の元恋人で、いまでは芸者になっている藤純子が狙われる。出所した高倉健は、地廻りの親分をしている中村竹弥のはからいで、新人の板前として実家へ戻ってくる。 高倉健の母親の荒木道子は高倉健の実父の後妻。家を出た原因は荒木が女の子を産んだので、継子がいると何かとアレだろうという心遣いによるもの。荒木道子は失明しているので、本人だとはわからないだろうから大丈夫、と、親孝行したい高倉健の気持ちを汲んだ中村竹弥と池部良はカモフラージュのための芝居に協力。 高倉健は、グレたオジサンのことなんか全然知らない甥っ子のために出汁巻き卵作ってあげたり、お母さんの肩揉んであげたりするくらいしかできなくて、そのいじらしい姿が前半のヤマ場。そんなことしたらバレんだろ?と思ったらちゃんとバレてんだけどそれを隠してお互いに相手を思いやる。 まるで講談浪曲の世界だ。だってそういう映画なんだから。 入れ墨が入ってるのでわざわざ隣町のお風呂屋さんまで行くデリカシー。似たり寄ったりの筋立てのシリーズだからこういうディテールへのコダワリくらいしか見所がないんだけど、それでも高倉健が出てれば筆者は満足だし、そういう客がいっぱいいて、そういう人たちをいかに幸福な気持ちで劇場から帰してあげるか?がシリーズ監督のウデの見せ所。 徹頭徹尾、高倉健は善玉で、しかも、通俗的な正義の味方じゃダメ。やることやってないとダメ、でもそれが見えちゃだめ、ちょっとテレも入ってないとダメ。水もしたたる二枚目じゃダメ、色男じゃなくて、カッコイイ男。男が惚れる男、ようするに、女にモテるんだけど、女に媚びない男。そういう人が最も、女にモテなくて二枚目じゃなくて人格者でもない男の人にウケるキャラクター。 しかし、それにしても高倉健と共演する人はたいへんだ。主役がわりと大きめだから、相手役もそれなりの人を選ばないと肉体の差異が目に付いてしまい、下手するとアボットとコステロになってしまう。ノッポとチビではコメディーになってしまうから。 敵役も背が足りないと、弱いものイジメに見えてしまうからこれまたたいへん。山本麟一くらい胸板とかないとダメだ。あと、天津敏とかもいい。強そうだけど絶対に負けるだろうな、という安心感がある。一番悪い人はそうでなくてもいい、盾になる人の影にかくれりゃいいから。 新宿昭和館(21世紀になっても東映のやくざ映画3本立てを上映しつづけた、仁侠映画のValley Forge)では観客(酔客多数)の唱和が巻き起こったという伝説の「唐獅子牡丹」に見送られ、ヒーロー二人が斬りこんでナンバー2が憤死して、最後はセミヌードの高倉健が豪快に悪者をぶった斬って終了。 ドジをした高倉健を池部良が叱り飛ばすところはまるで「安宅関」の弁慶と義経。日本人がどのへんで泣くのか、泣きたいと思うのか、泣かせてくれることを求めるのか、最後まで公約重視。 (2003年01月04日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16