「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


十三人の刺客


■公開:1963年

■制作:東映

■監督:工藤栄一

■助監:

■脚本:池上金男

■撮影:鈴木重平

■音楽:伊福部昭

■美術:井川徳道

■主演:片岡千恵蔵

■寸評:菅貫太郎に注目せよ!


 筆者である私は菅貫太郎の大ファンである。

 明石藩の暴君を暗殺すべく、組織された13人の決死隊が、ある宿場に奇想天外な罠を張り、殿様の行列を待ち伏せる。首領の片岡千恵蔵を筆頭に、選び抜かれた刺客達。敵方が追い詰められた先々にあるトラップの面白さ。数で圧倒的に勝る相手を如何に分断し、皆殺しにするか、という大量殺人時代劇の名作。

 様々なメディアで語られる作品だが、注目されているのは、映画の終盤の血みどろのチャンバラであったり、心を通わせつつも組織のために対決しなければならない優秀な侍の悲劇ばかりのようだ。肝心要の、この惨劇の元凶、つまり暴君・菅貫太郎についてあまりにも、述べられていないので、折角だからここで菅貫太郎を中心にこの映画について、語ることにする。

 理由?だってファンなんだも〜ん。

 菅貫太郎が演じる殿様は、将軍の弟。兄の七光りをかさに着た、傍若無人な奴なのだ。そういう悪行のうわさは当然ながら近隣諸国にも知れ渡っている。本当に彼はただのアナーキーでチープな馬鹿の大安売り野郎だったのか?菅は、この殿様の屈折した心情を、あの鋭く、かつ、虚無な眼光で演じて、印象深いものにしていた。単なる仇役にはならないのだ、この人が演る「ワル」は、いつも。

 この映画のなかで私が一番好きなのは、優秀な家臣の内田良平の計らいで、橋の上を通過しようとするシーン。橋の対面には菅貫太郎に恨み骨髄の月形龍之介が、鬼瓦のような(いつもの)顔をして、臨戦体勢の部下を従えて待っている。月形を出した時点で勝負は決まったようなものだが。

 内田はこの時、千恵蔵の計略が巨大なものであり、もはや逃れる術がないことを知る。だが菅は納得できない。自分が暗殺されるかもしれないと、薄々は覚悟していても、それを受け入れては自己否定になっちゃうから、ここで彼は必死の、そして最後の抵抗をする。

 内田の制止を振り切って、籠から飛びだし、橋の上を一人で走る菅。対する月形は不動。暴君が自分のプライドを賭けて、挑みかかる。しかし、いくら足掻いても、すでに運命は決まっている。立ち尽くす菅貫太郎。この映画のクライマックスはここなんじゃないの?ってえくらい、私はここんところが好き。悲劇の結末を受け入れないのは、観客を含めて菅だけだ、という孤独感。このシーンなくして、この映画は成り立たない、とここで断言しよう。

 そして、大殺戮が始まる。内田良平に守られながら、そして、内田の名前を連呼しながら、ぐんぐん追い詰められる菅。目の前の恐怖におびえた菅の絶叫こそが、このシーンの緊迫感を盛り上げた最高のサウンドエフェクトだ。スピーディーでダイナミックなチャンバラはまさに名作の由縁だが、やっぱ見てて一番共感できるのは「逃げてばっか」の菅だ。

 とうとう菅は殺される。とても、あっさりと斬り殺される。その物足りなさが、次の片岡千恵蔵と内田良平の、相打ちを格調高くしたと言って良い(ちょっと無理があるけど、気にしない)。千恵蔵の大時代的な死に様と、惨めに突然死んでしまう菅のリアリティの交錯が、この集団時代劇のコンセプト。

 え?それほどのもんか?何を言うておるのだ、そこの君。工藤ちゃん(って「探偵物語」みたい)、もとい工藤監督の「十一人の侍」でも菅貫太郎が奮戦してるんだよ、同じ役で。単なる下品で憎々しい悪役だったらこの両作品、台なしになるところを、ノーブルで口跡鮮やかな台詞回し、二枚目なのにどっかアブノーマル、菅貫太郎だったからこそ、なんとも懐の深い作品になったのよ。そこんとこ工藤監督も評価してたから、二回も起用したんじゃないの。

 だからもっと菅貫太郎は注目されるべき!でも、あまりもち上げすぎると、誉め殺しになるから、このへんで止めとこ。

1997年11月14日

【追記】

2003/05/16:旧サイトに掲載されていた感想文です。リクエストを頂戴しましたので復活させてみました。

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16