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■公開:1964年

■制作:大映

■監督:三隅研次

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:市川雷蔵

■寸評:なにもおまえ、死ぬこたあねえだろうよ・・・


 大学の剣道部の部長である市川雷蔵は、すべてを剣の道にかけている純粋な青年。対照的なのが同学年の川津裕介で、彼は女遊び、喫煙、飲酒、雷蔵とはまったく別のライフスタイルを持ち、時には雷蔵を批判さえする。雷蔵は部の規律を重んじ、封建的な処罰を下すため、部員のなかには耐えられず脱走してしまう者も出る。

 ある日、ちんぴら青年が鳩を空気銃で撃ち落とす現場に遭遇した雷蔵は、傷ついた鳩がもがくのを見て鳩を殺そうとする。トイレから出てくる女性をからかう学生、愛人を囲っている父親、雷蔵は次第に厭世的になり、さらに剣道部の活動に没頭する。

 夏の合宿の最中、部員が規則を破り水泳をしてしまう。部長としての強い責任感から雷蔵は自殺してしまうのだった。

 武道へのストイックな思い入れが、成長し社会に出ていくことを、極度に恐れさせてしまい飛劇的な結末を迎える、純粋な魂の悲劇。最初は雷蔵の凛々しさがかっこよく見えるのですが、その純粋すぎる、絵に描いたような行動が、フツーの社会人である観客と少しずつズレ始めます。そのズレ具合と雷蔵の悩みの進行がきっちりシンクロしていて、静寂な画面なのにぐいぐい引き込まれてしまいます。

 雷蔵が剣道にのめり込む姿に、尊敬の念を抱く者、批判する者、心配する者、ジェラシーを抱く者、反応は様々です。川津裕介は、自分がモノにした藤由紀子に雷蔵を誘惑させてなんとか、自分が真似できない、雷蔵の純粋さを汚そうと試みます。

 他にどんな俳優がこの主人公を演じられるだろうか?と考えるとこれは難しい問題だなあと思えてきます。市川雷蔵が主演した三島由紀夫原作ものではほかに「炎上」がありますけれど、やはりこれも雷蔵ならではの映画だと言えるでしょうね。大勢の部員を前にして部の行動規範を説く雷蔵の声質の心地よさ。透き通るような、そしてよく響く発声からして、すでにこの主人公そのものです。

 確かに、年齢的には(当時33歳)大学生としてはちょっと老けてるんですけど、雷蔵は夭折したからかもしれませんけど、詰め襟着て出てきたその姿は完璧に「学生」に見えます。この映画を最初に見たのは大学生のとき、そして最近見直したのですが、これを中学生、高校生くらいのときに見ていたらどんな印象だったでしょうか。社会の汚濁にまみれた年代の人間から見たら、「そりゃ、こういう奴は破滅するわなあ」と最初っから諦めちゃいますけど、思春期の子供が見たらまた違うのかもしれませんね。

 誰でも一度は憧れる「純粋な生き方」、でもいつかそれが、幻だったと気がつくのが一般的なんでしょうけど、この映画の主人公のように「将来のことを考えるなんて下らない、僕が必要なのは現在の充足なんだ。」と一度で良いから心底言ってみたいものですね、そろばんづくで生きている大人としては。

言っときますけどそれと「今が楽しければそれでいいのさあ」という現代の風潮とは明らかに違いますよ、彼等には「将来はこんなバカやってらんないもん」という計算高さがありますからね。でも、そのほうが自殺せずに済むんですけどね。

1997年09月28日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16