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悪魔の手毬唄


■公開:1977年

■制作:東宝

■企画:角川春樹事務所

■監督:市川崑

■助監:岡田文亮

■脚本:久里子亭

■撮影:長谷川清

■音楽:村井邦彦

■美術:村木忍

■照明:佐藤幸次郎

■録音:田中伸行

■編集:小川信夫、長田千鶴子

■主演:若山富三郎

■寸評:若山先生、ご入湯。


 鬼首村(おにこべむら)の二つの旧家の対立から、若い娘が次々と惨殺される。事件は村に伝わる手鞠唄の歌詞を踏襲していた。

 いやあ、良い味出してますねえ、原ひさ子。日本一のおばあちゃん女優である。この猟奇映画のヒーローは若山富三郎でも、石坂浩二でもない。それは手鞠唄をほぼフルコース記憶していた原ひさ子の素晴しい記憶力の賜であるという私の主張に異議を唱えるものはおるまい(主張する奴もおらんが、、)。

 酒造りの大家が登場するので、その殺人テクは酒にまつわるもの。葡萄酒の樽に漬かるならまだしも、気の毒なのは滝坪で上戸をくわえて果てた方である。辛そうだったなあ。リハいれて何回「飲まされた」んだろうか。口では飲まなくても鼻からは絶対に「入った」はずである。ま、他の作品では、木の枝で逆さ吊りになった女優もいたことだし、驚くこたあないか。

 若くてきれいな女優さんが、あられもない(とは違うけど)姿で死に様をさらすのがこの金田一映画の見所だ。自分の娘の命懸けの抗議に、改心し、自殺してしまう真犯人の岸恵子だって、ヘドロ(藻か?)にまみれて死んじゃったし。

 いつも偉そうな加藤武だが、今回は若山富三郎がいたので遠慮ぎみである。警部の若山は真犯人の岸恵子に惚れている。だが武骨な彼は「お竜さん」の時から全然進歩していないので、打ち明けることができないシャイな奴。それにこの警部は、事件解決のみならず、無鉄砲な若者の指導係も引き受ける。

 妹が殺されて激高した青年団の潮哲也が、北公次の元へ白馬に乗らずに(「怪傑ライオン丸」参照)駆け足でやってきて、大喧嘩を始める。これを止めに入ったのが若山富三郎。

 たとえば、とんねるずのギャグ番組などでセットに噴水やプールがあったら、必ず「池ポチャ」を期待するように、この三人の肉団戦も、その足元にあったかそうなお湯が湧いているのだ。期待せずにはおれない、なにせ若山さんである。常に観客の期待を実現してきた俳優哲学に則ったのかどうかは知らないが、とりあえず三人とも派手にダイブしてくれた(拍手!)。

 石坂浩二の影は、いつにも増して薄かった。事件を未然に防がず、真犯人を滅多に生きて逮捕できない「名探偵」ってのもどうかと思うが。映画は若山富三郎が全部もっていってしまった。

 エログロに、ロマンスと人情風味が加味されたため、単なるサスペンスにならず、なかなか懐の深い金田一映画になっていたと思う。これもひとえに若山富三郎のおかげである。どうせなら加藤武と交代してほしかったくらいだが、それじゃあ「磯川警部シリーズ」になりそうな勢いだったので、これ一作のみの出演になった。

 さすが東宝である。たとえイケそうな素材を脇に見つけても、本道を見失うことはなかった。「緋牡丹シリーズ」から「極道シリーズ」を作った東映だったら絶対にやったはずだよなあ、と、実はちょっぴり残念だったりして。

1997年10月26日

【追記】

2011/08/21:スタッフクレジット、訂正と補完

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-08-21