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モスラ(1996)


■公開:1996年

■制作:東宝

■監督:米田興弘

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:蛾

■寸評:え?これってつまらなかったんですか?


 私はモスラを見て感動しました。昔のでなくて、この新しいモスラです。なぜでしょう?たぶん生意気であつかましい目障りなヒステリー女(星由里子)がいなかったからでしょう。

 開発事業に携わっているお父さん・梨本謙次郎が現場から持ち帰った珍しいメダルが実は悪い怪獣の封印で、それを心配したモスラとその妖精が、子供達と協力して悪い怪獣を追い払う、という話です。

 話そのものは単純です。見せ場としてはその悪い怪獣を蘇らせてしまおうという悪い妖精・羽野昌紀とモスラのメッセンジャーである良い妖精との対決シーンです。妖精、ですんで双方とも体のサイズは一寸法師程度。お互い怪獣の背に乗って、リビングで空中戦を展開します。

 「現代用語の基礎体力」「ムイミダス」「未確認飛行ぶっとい」これら関西地方でしか(一部は半年〜1年遅れで関東でも見られました)放送されていない番組を旅行や出張のたびにほくほく見ていた東京在住の私としては羽野昌紀が悪役(だけどマヌケ)ってのはかなり違和感です。らんぐいに近い悪い歯並びでくしゃくしゃに笑っているトランジスタグラマーというのが羽野昌紀の印象だったので、いくら凄んでくれてもどこかで壊れるのを期待していたのですが、、残念でした。東京弁(標準語って言い方は嫌いだ)もハマってなかったし、、。

 で、私がどこで泣いたかというと、モスラはたいてい子モスラと一緒に出てくるんです。子、と言ってもビルよりでっかいイモ虫なんですけどね。母は子供と共にその悪い怪獣と戦って子供をかばい死んでしまうわけですよ。母子の別れ、泣けるシーンのリーサルウエポンですよね。たとえラドンだろうが、モスラだろうがこりゃ泣けますよ。

 やられそうになって親子は逃げて海に着水します。死にかかった親を必死になってはげます子。ウルウル、、。水面でバタバタしていた母親はついに力尽きて沈んでしまうのです。そう!ここが見所!

 水面で親の名前を呼んでいる(というか鳴いてるだけですけど)子モスラ、透明な海中に静々と沈んでいく親モスラ。ここで私はついフランス映画の「冒険者たち」をデジャヴーしてしまったのですね。ああ!あのアラン・ドロン先生がお歌いになるド演歌風シャンソンの「レティシアの歌」(はい、知ってる人はここで笑ってくださいね)が頭のなかで鳴ってる〜、潜水服が沈んで行くよ〜。

 ジョアンナ・シムカス嬢には失礼ですが彼女と親モスラがシンクロしてしまいました。演出もかなりそのへん、意識してたのでは?と思われますがいかがなもんでしょうか。

 映画は仕事の虫だったおとうさんと不仲だったお母さんがモスラを助けようということで子供と一致団結、モスラの勝利と親子の絆を取り戻すというまことにおめでたいラストシーンを迎えます。

 「モスラの歌」ってまだ健在なんですね。でも歌はピーナッツのほうがずーっと上手いですね。だってちゃんとコーラスになってますもん。今回の妖精二人は百歩譲ってもありゃユニゾンにしか聞こえません。

 そんなわけで、この平成のモスラはあまり評判がよくなかったらしいですが、従来の「ぶっこわし体育会系怪獣映画」とは別ものだと思えばよろしいんじゃないですかね。

 海面でもがく親モスラがマジで蛾の断末魔っぽかったのが昆虫嫌いの私にはちょっと寒かったんですけど、そのあとの水中シーンがきれいだったのが心地よかったのと、自衛隊が全面的に登場しないというアンチ・ガメラっぽい営業戦略がほのぼのしていた怪獣映画でした。

1997年09月16日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16