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お日柄もよくご愁傷さま


■公開:1996年

■制作:Gカンパニー

■監督:和泉聖治

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:橋爪功

■寸評:


 「不幸はそれ一つだけならたいしたことはないが、問題なのはそれがダマになってくることだ」(by アントニオ猪木)、けだし名言である。

 大企業の総務課長・橋爪功、妻・吉行和子、臨月の長女・伊藤かずえ、フリーターの恋人がいる次女、この一家におよそ1日半のあいだに訪れる事件を描く。結婚式の仲人をするべく式場に向かう朝、橋爪の父親・松村達雄が急死。長女は喧嘩して戻ってくるわ、次女はグアム旅行のキャンセルでスネるわ。 周囲の大騒ぎのなかで受け身に回っていた父親も実はリストラされていたという、実に身につまされるドラマを抱えていたりする。

 盆と正月が一緒に来ると、とても忙しいのである、と、かの笠置シズ子先生もお歌いになられていたように、ともかくまとめて来られると迷惑なものは冠婚葬祭である。

 いわゆるパニック映画を庶民のレベルにリファインしたらこうなった、という感じ。大地震が来るより、豪華客船がひっくりかえるより、ジャンボジェットの機長が食中毒になるより、なにより「結婚式」と「葬式」と「出産」がダマで来るほうが、そのパニック加減は共感を得やすい。

 こういう所帯じみた喜(悲)劇に胃の悪そうなキャラクターってのはやっぱり似合う。「お葬式」の最大の失敗は主役の山崎努が殺しても死にそうになかったことだと私は思っている。橋爪功ならついふらふらと、踏切の遮断機をくぐりそうではないか。この映画は主演を橋爪功にした段階ですでに七割がた成功したと見てよい。

 登場後、すぐ死んでしまう松村達雄も、売れない放送作家の娘夫婦・根岸季衣(橋爪の妹)と西岡徳馬のことを気にしていて、結婚には大反対したくせに、義理の息子が担当したテレビ番組のスクラップが死後発見されたりして、ホロリとさせる。クサイと分かっていてもこういうところで泣くのが大人というものだ。

 そしてこのようなハートウォーミングなホームドラマの最終兵器と呼ばれているのが河原崎長一郎である。彼は、橋爪が仲人をする結婚式の父親として登場。柳生に表と裏があるように(ない、ない)、庶民派という流派に表と裏があるのならば、表の代表が河原崎長一郎、裏が橋爪功である。その二人が活躍するのだから、無敵である。

 最初は退屈な映画だなあと思っていたが、饒舌すぎない出演者の自然体、つまりは演技が達者なんだろうけど、のおかげでイライラせずにすんだ。少しでも感情移入が過ぎると十年前の昼メロだし、あまりほのぼのしすぎてもドラマチックな「サザエさん」になっちゃうし、どっちにしても古色蒼然となりやすい素材でしょ?森繁とかシニカルで偉そうな役者が出てきたりしたら絶対、駄目だったろうなあと思う。

 フリーターの彼氏も葬式にちゃんと参列したりして安心できそうだし、伊東かずえの夫婦も元の鞘におさまりそうだし。で、さらにロマンチックなおまけも付いていた。死の直前に松村達雄が買った航空券の行き先は、死んだ奥さんとの出会いの山小屋。それを橋爪と吉行にトレースさせて、最後にラブシーンまで。

 善人が最後に幸せにまとまる喜劇は普遍なのだと、あらためて思い知らされた。

1997年10月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16