「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


四谷怪談


■公開:1959年
■制作:大映
■監督:三隅研次
■助監:
■脚本:八尋不二
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:長谷川一夫
■寸評:忘れ去られた四谷怪談。


 本作品と新東宝の「東海道四谷怪談」は同じ年に封切られた。誰もが大・大映の大スタア・長谷川一夫と、新東宝の天知茂とでは勝負にならないと思ったが、後世、名を残して高く評価されているのは後者である。

 古典作品は監督の味付けと食材(主役)によって如何様にもテイストが変わる、ということ。 やっぱ天下の二枚目大スタアだから、本作品の伊右衛門は上原謙のキャラクターに近いものがある。

 民谷伊右衛門・長谷川一夫は仕官の口を探しているが、いずれの話も賄賂や袖の下がなければ門前払い、そのような状況に嫌気がさし、かといって傘貼りの毎日にも飽きて釣三昧の日々。妻のお岩・中田康子は流産の後、気欝(きうつ)の病にかかり、毎日がはかばかしくないがそれでも夫を懸命に支えている。伊右衛門には同じ様な旗本くずれの仲間がいて、もめ事を起こしては腕の立つ伊右衛門に助けを請い、小銭をせしめるという無頼を重ねていた。

 伊右衛門はある日、勤め口を頼みに行ってけんもほろろに追い返された役人の娘・お梅に見初められる。伊右衛門は意に介さなかったが、嫉妬深いお梅はお岩が憎い。金につられた直助・高松英郎と件の仲間がお岩に毒を盛り、下男との不義をでっちあげ伊右衛門をだます。顔が崩れたお岩を仲間が斬り捨てたところへ帰ってきた伊右衛門はお梅の家に行くが、そこにお岩の亡霊が現われる。

 長谷川一夫は日本映画史上、空前絶後の二枚目スター。スターは常に輝いていなければならない。それは希代の色悪・民谷伊右衛門を演じていても、神聖にして侵すべからざる「業」というもの。したがって、本作品の伊右衛門は従来型(特に天知茂)とは違っている点が多い。

 その1:伊右衛門は直助が仕組んだ不義密通の報告を信じただけ、岩のことは最後まで好き。

 その2:伊右衛門がお岩さんの「仇討ち」をする。

 三隅監督版の「四谷怪談」では伊右衛門はモテモテのいい人。お岩さんは伊右衛門を恨んでいるのではなく「一人で死ぬのは寂しい!」という恋慕の情の挙句に伊右衛門を「道連れ」にするために取り憑くという展開。つまり伊右衛門は単なる被害者。もちろんお岩さんを疑ったとか、若い女といちゃいちゃしたという程度の悪行はしているが、実行犯となると友達と直助であり、首謀者はお梅の父と乳母とお梅本人。

 いくら大スター・長谷川一夫だからってそれはちょっとズルイくないか?最後に「岩のかたき!」とかなんとか言って、直助やお梅の一家や家臣と立ち回りをするってのも「良い子」すぎるぞ。おまけに一太刀も斬られず、肥満体のため息を切らして(だってそう見えるんだもん)倒れたところへお岩の着物がやさしく伊右衛門の体を包む、、なんてさあ、お岩の亡霊に散々ビビらされて妹夫妻にザクザク斬られた天知茂(「東海道四谷怪談」参照)とはあまりにも差がありすぎだよね。

 中田康子の「可愛い顔してワル」なお岩さんはなかなかアグレッシブ。亭主の羽織に残った愛人の白粉の残り香に拳をワナワナさせるシーンなんてまるで内館好子か大石静のシナリオを彷彿とさせ、それを実生活でも性悪で名を馳せた中田が演じているというのがドンピシャ。

 しかし長谷川一夫って頭でかいっすね、だけど映画では顔が大きいのってやっぱ得です。表情がすごくよくわかる。だって引きでも寄りのスケール感だもの(誉めてないか?)。長谷川一夫の流し目の妙技はあの「黒目の小ささ」がポイントですね。一歩間違うと天知茂の三白眼なんだけど今回の伊右衛門役でもそこんところはビシバシ発揮されてました。あの怪光線が飛んできそうな視線に当時の婦女子のみなさんはイチコロだったんですね。

 超二枚目俳優・長谷川一夫のおかげで、ちょっとおセンチなラブロマンスになってしまった四谷怪談でした。

1997年08月02日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16