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県警対組織暴力


■公開:1975年
■制作:東映
■監督:深作欣二
■助監:
■脚本:笠原和夫
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:菅原文太
■寸評:現実がフィクションを超えるとき。


 世間では70年代の東映バイオレンス映画をただただランボーなだけだと評価しているようだが、今ではむしろその先見性に驚嘆すべきである、と言うか警察内部の腐敗の病巣は今に始まったこっちゃねーよ、ってことだ。この後、ロケの許可が下りにくいだのなんだという理由で東映は警察の悪口を段々言わなくなった。本当に危ないのはそうして声を上げるものがいなくなったときだ。

 教訓的だねえ。じゃ、本題へ。

 所轄のマル暴刑事・菅原文太は地元のやくざの若い者頭・松方弘樹をかくまったことから、二人の間には奇妙な友情が芽生える。新興やくざの成田三樹夫は市長や議員や企業の幹部を抱き込んで土地転がしを企んでいる。松方は出所してきた親分・遠藤太津朗を迎えるが親分は成田と県警幹部の説得に負けて組の解散を約束させられる。 

 県警からエリート警部・梅宮辰夫が部下を引き連れて地元やくざの一掃作戦を指揮することになった。成田と小競り合いをしていた松方の組が集中的に狙われる。松方は捜査の情報を文太から聞き出し再三のピンチを切り抜けるが梅宮がこれに気付く。松方は次第に文太を信用しなくなる。梅宮に馬鹿にされたベテラン刑事・佐野浅夫が成田に寝返る。焦った松方は浅野を連れ込みホテルに誘拐し成田の組の解散を要求するが、、。

 この映画に登場する松方弘樹は昔気質のやくざ者。自首をしようと文太のところへ行った松方が、文太にすすめられた茶漬けを食べて、茶碗をきちんと洗って返そうとする。そこに文太は惚れ込むのだ。一目惚れっちゅうやつですな。そこいらへんがグッとくる。

 成田三樹夫のように権力と癒着することが近代やくざの生き残るただ一つの道なのだ。松方はそれを拒み、男義といういわば純粋な感情だけを信じて自滅して行く。その切なさが松方や文太へシンパシーを抱く原因。文太は年齢にふさわしい影がよく出ていて、ラテン系の松方弘樹と好対称。

 篭城した松方は文太の説得に応じて一度は降伏するが、いかにもわざとらしくスキを見せた刑事の拳銃を奪ってついに射殺される。梅宮は早々に県警を退職し成田三樹夫が買収工作に絡んだ石油会社の重役に天下る。そして文太は、、。

 地方の駐在勤務を命じられた文太は土砂降りの雨の中、交通事故を知らせる電話に誘き出され正体不明のトラックに轢殺される。すべては闇と雨の中に消え、一人死んでいく文太の亡がらをスポットライトに浮き上がらせて映画は終わる。ああ、なんて出口のない映画なんだ!

 田舎代議士・金子信雄、県警の偉い人・安倍徹、警部・梅宮、やくざ・成田は全員無傷。それがまた、にくったらしいまでに明るくほがらかに元気なのね。この強烈なアイロニーこそ深作欣二監督の真骨頂。それを説教臭くなく、ユーモア(ブラックユーモア)を交えて、描くところがさすがです。これってチンピラ映画風でありながら実際はものすごく古くさい仁侠映画なのよね。

 ともあれ出演者からなにからどこを斬ってもこりゃ「仁義なき戦い」を思い出さずにはおれません。成田の組のちんぴら・川谷拓三が取調室でいきなりパンツむかれてボカシが入る。さんざん痛めつけられてしょげたところを、文太のイキな計らいで便所(尾篭な表現で恐縮ですがトイレ、、ほどのシロモノじゃなかったので)で女とセックスさせてもらって刑務所へ。いつでもどこでも大熱演の川谷拓三。

 そしてさらにチョビっとしか出ないのにミョーに強烈なのが田中邦衛。遠藤太津朗のオカマをほって骨抜きにし、オネエ言葉で超ブキミ。ちょっと狂犬三兄弟が入ってたかな。

 時代に取り残されて行く純粋な人々。変化しないのは男の美学か、それともただのバカなのか。松方弘樹の狂いっぱなしの熱演に監督は彼等を捨てて行った世間への怨念を込めたのかもしれない。見終わってからかなり滅入る。

1997年06月01日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16