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怪談 累が渕


■公開:1957年
■制作:新東宝
■監督:中川信夫
■助監:
■脚本:川内康典
■原作:三遊亭円朝
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:丹波哲郎
■寸評:親の因果が子に報い、、、親子二代にわたる悲劇の物語


 金貸しを生業としている按摩にはかわいい娘がいた。武士の屋敷へ督促に出向いた按摩が惨殺されて累が淵に沈められる。その夜、武士の元に按摩の幽霊が現われ狂った当主が妻を斬り殺し、幽霊に導かれて自らも累が淵で溺死する。武士の家は没落し残された息子は忠義な下男の手によって商家の軒先に捨てられる。

 時がたち、息子は新吉と名乗り手代として商家で働いている。跡取り娘、お久・北沢典子は新吉が大好きなのだが身分違いを理由に両親は「結婚なんてとんでもない!」というわけで大店のぼんぼんとの縁談を勝手に進める。北沢典子は小唄を習っている。師匠の豊志賀・若杉嘉津子は評判の美人だったが、素性の良くない浪人、大村・丹波哲郎に言い寄られて困っているところを新吉に救われたため、新吉と一夜を共にしてしまう。

 こうなると若杉嘉津子は北沢典子のことがしゃくにさわって仕方がない。新吉が北沢と会っていることに腹を立てた若杉はふとしたはずみで三味線のバチで顔を傷つけてしまう。若杉にフラれたのが気に入らない丹波哲郎が新吉と北沢をかけおちさせ、北沢が店から持ち出した金を狙って二人の後を付ける。いよいよ嫉妬に狂った若杉は悪化した傷口を見て狂乱し死んでしまう。

 日本一の化け猫女優と言えば入江たか子だが、美人幽霊女優と言えば若杉嘉津子だ。「東海道四谷怪談」で見せたお岩の名演技と並び賞されるに十分な本作の豊志賀。切れ長の目に吸い込まれそうな視線でグッと睨まれたら大の男でも腰を抜かすほどの色気と吝気。中川信夫監督が惚れ込んだのも無理ない。若杉嘉津子も中川監督を尊敬してたし、とにかく役に没頭するタイプだったそうで、控え室で仲の良かった共演の北沢典子が「若杉さんの目、怖い!」と言ったそうだから、ホント、あの瞳の力は本物だったんだね。

 若杉の亡霊に悩まされた二人は新吉の故郷である累が淵へ。そこでまず北沢典子を呪い殺した若杉嘉津子は丹波が新吉を殺すのを見とどけると今度は丹波を累が淵へ沈めてしまう。若杉嘉津子は実は殺された按摩の娘で、武士の一族を根絶やしにしようとした親の呪いに翻弄されたのだということが分かる。残された下男と若杉の家のばあやは死者の成仏を願うのだった。

 累が淵に迷い込んだ武士の行く手を阻む按摩の大顔面!丹波を圧倒する豊志賀の大顔面!按摩を斬ったと思ったら実は女房だったとか、いくら斬っても死なない亡霊だとか、光学的な合成処理が効いている。幽霊が現われるタイミングの良さ、アクションつなぎのうまさは古典的なテクであるにもかかわらず監督のセンスの良さでちっとも古くさくない。

 中川信夫の怪談映画は最後に必ず救いが描かれる。「地獄」でも「東海道四谷怪談」でも死者(ただし女性のみ)は成仏したし本作品でも子供達の魂(お嬢さん、新吉、豊志賀)は美しい姿で灯籠と共に累が淵を漂っていく。映画は楽しいものでなくっちゃイヤだよね。ただでさえ救いようのない現世とは決別して、せめて映画の中だけででも「救われたい」よね。

 ただ単に「びっくりさせる」だけの映画とは違って本作品に流れる叙情的な描写は人間の業の深さを説教臭くなく(ここがポイント!)語るので観客の琴線を刺激する。死ねば仏である。怪談映画には「供養の心」が必要である。

 中川信夫監督の怪談映画はいつも優しい。

1997年06月30日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16