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■公開:1973年
■制作:ATG
■監督:新藤兼人
■助監:
■脚本:新藤兼人
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:松橋登
■備考:夏目漱石の原作を昭和の時代におきかえたら、、 。


 「こころ」(1955年・日活)は先生=森雅之、K=三橋達也、お嬢さん=新玉三千代、学生=安井昌二が出演したのが有名。今回の「心」は時代を昭和にしていますんでだいぶん雰囲気が違います。

 原作との相違は、たとえば自殺するのはKではなくてS・辻萬長です。本名は出てきません。「S(エス)さん」と劇中でも呼ばれています。原作を思い出すと、ビジュアル的には武骨なイメージなので辻萬長はS(=K)にぴったり。先生=主人公は松橋登。ちょっと軟派過ぎるような気がしますけど。さて問題はお嬢さんです。これが杏梨。私はこの女優さんのことよく知らないんですが、ちょっと見が烏丸せつ子に似ています。いぶし銀の未亡人は乙羽信子

 私は教科書で、しかもKが自殺する件しかこの原作を読んでいないので、原作と比べてどうこうというのはあんまりわかりません、が、しかし、お嬢さんはちょっと、あまりにも肉感的すぎやしませんかねえ。時代が新しいのも手伝ってか、妙に艶かしいのですね。お母さんに自分の結婚については任せてある、ってのも現代(昭和40年代ですけれども)では理解しがたいし。結局はお嬢さんが二人の男を手玉にとった、人生を狂わせた、翻弄した、ような(少なくとも主人公にとってはそう感じたような)解釈になってます。

 松橋登はきれいな顔だちの俳優ですが、かつて井上梅次が大暴れしていた頃の「土曜ワイド・明智小五郎シリーズ」では女装までやらかした、、つまりちょっとアブノーマルっぽいイメージがあるので、まあなんとなく私も原作を読んだときは「陰気で、嫉妬深くて、ヤな奴だなあ」と思えたので、適役と見えました。もう少しちゃんと原作読めば違うかもしれませんが。屈折した人、だったのは間違いないでしょう、たぶん。

 乙羽信子の未亡人が、松橋の心の奥まで見透かしているように描かれてますが、それは松橋の「自責の念」が反射していたのでしょう。ストーリーは原作の「手紙」風に松橋のナレーションで進行します。Sの遺骨を引き取りに来るのが父親の殿山泰次。最後に結婚した二人が新婚旅行に蓼科へ行きます。そこは以前、Sと3人で来た場所でした。蓼科の木々のざわめきが印象的なラストシーンでした。

 原作は古典ですからみんなが知っている、確固たるイメージができあがってる作品ですから、見終わったあと、これは原作を忘れたほうがいいんだなきっと、と思いましたね。でないと、なんだか昼メロみたいな、安っぽいって言ったら失礼かもしれませんけど、ワイドショーの再現ドラマみたいだったなあ、と。古典をドキュメンタリー風にするとこうなるんだなあ、といったところでしょうかね。ちょっとぶちこわし気味、、、かなって当時は思ってたんだけど。

 なあに、今見れば1970年代だって十分に「古典」なのである意味、大丈夫かも。

1997年01月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16