春来る鬼 |
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■公開:1989年 |
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若い頃の旭さんならきっとこの主役を演じたに違いない。そして旭さんの若い頃ならこの映画はもっと当ったに違いない、ような気がする。 岩手県あたりの小さな入り江にへばりつくように生活している閉ざされた村。そこへ他国から駆け落ちしてきた筋骨隆々たる青年、サブローシ・松田勝と美しい娘、ユノ・若山幸子が流れつく。ヨソモノに厳しいのは仮面をつけた村の長、トウヤ。彼はサブローシを村に迎えるにあたり様々な試練を課す。応援してくれるのは村の古老で評議委員の一人であるジサマ・三船敏郎。 最初の試練は切り立った岩礁へ飛び込んで「石」を拾ってくること。次は死体の番人で、そこはヒルとか血吸いコウモリとかが出る気味の悪い小屋。あと少しというところでトウヤの屋敷にいるユノへの思慕が募りサブローシは脱走。そして最後の試練は船一杯の魚を獲ってくること。嵐の晩に船出したサブローシは数日後、空の船に倒れ込むようにして帰ってくる。 村に疫病が流行る。体のあちこちが紫色にただれる病気だ。トウヤの命令で疫病を鎮めるために「鬼の火祭り」が執り行われる。生贄として燃え盛るたき火に恩人・小島三児が入れられそうになったとき、サブローシは水をかぶり、かわりに炎のなかに飛び込むが無傷であった。驚く村人たちはサブローシの勇気と奇蹟を称え始める。トウヤは威厳を見せるためにあとに続くが、たき火が崩れ落ち重傷を負う。 トウヤもまた疫病に侵されていたのだった。疫病との闘いを代々強いられた一族悲劇を語り、トウヤは生母・津島恵子とともに死ぬ。 疫病って「梅毒」のことらしい。トウヤの家系に代々受け継がれていて、他国の女と交わることで悪縁を絶つつもりだったが、そんなことをするより子孫を残さず死ぬことが一番というトウヤの悲しい判断。トウヤは仮面をかぶってヒゲ面なので誰だかわかんなかったがよく見たら滝田栄だった。 美術の村木与四郎、音楽が佐藤勝、自然の一部となった村人達のリアルな描写、米松製と思われる重厚な家屋、これだけ揃うとまるで黒澤映画。小林旭の分身とも言える主演の松田勝。目が印象的な、まさに野性児。海に潜ったりヒルに血を吸われたりとまさに体当りの熱演。 自然の描写はヘリからの空中撮影をふんだんに取り入れて見事なんだが、肝心のストーリーのほうはどうか。婚礼の行列、村人の火祭りのケチャダンス(みたいなの)等々、「生」のパワーは存分に描かれるが、対する「死」のパワーであるトウヤの苦悩の描写は、死の床に就いたトウヤの独白だけに頼っているもんだからイマイチ。トウヤの話によると彼等の一族は難民で、途中遭遇したサメから身を守るために死体やジジババを餌として海に叩き込んで生き延びたということで、そのたたりが梅毒ってわけだ。 「春来る鬼」とは暖流と寒流が出会ったときにできる潮柱の様なものをさす。季節はずれの生暖かい風が運んでくる疫病。遥か古代の、おそらくは空想の日本のどこか。自然への畏敬の念とか、因果とか因習とか人間のシブトさとか業とか、描きたいものが多すぎて、詰め込みすぎて、まとめきれてない。アイデアはいいんだけどねえ。 で、ここではやはり松田勝に注目しよう。デビュー作なんだよね。私が最初に松田勝を見たのは「シコふんじゃった」である。ホラ、モッくんが強制入部させられた廃部寸前の相撲部に助っ人参加してくれる気の良いアメフトの兄ちゃん。「シコ〜」は本作よりも少しスリムになっていたので、顔がちょっとだけジミー大西似。その後はVシネマでアーノルド・シュワルツェネッガーなみに活躍。もっとちゃんと芝居させてあげなよ、イイ味出すよ、きっと。 「船一杯の魚を獲ってこい」はたぶんこんなオチだろうなあと予測したとおり、バショウカジキだった。それじゃ、あーた「老人と海」でんがな。 最後に、、、あのさあ、津島恵子ってさあ、こういっちゃあなんだけどさあ、大根だと思いません?だって台詞へたくそだもん。やっぱ清純派ってポジションがピッタリだよね。こういうオドロな巫女は大塚道子あたりに任せといたほうがよかったと思います。 (1997年05月05日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16