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三匹の侍


■公開:1964年
■制作:松竹
■監督:五社英雄、阿部桂一、柴英三郎
■助監:
■脚本:五社英雄
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:丹波哲郎
■備考:デブ、キザ、カタブツ。


 「ゲッターロボ」の精神的なルーツ(たぶん)。利害も性格も不一致な三人がイザとなれば団結し素晴らしいチームワークを見せる。

 代官の圧政に苦しめられていた百姓の代表者が、参勤交代で村を通る藩主の行列に直訴すべく、代官の娘・桑野みゆきを誘拐。水車小屋にたてこもるが偶然通りがかかった浪人・丹波哲郎が百姓の味方になる。娘奪還のため無宿浪人を集めた代官だったがその中に槍の名手・長門勇がいた。長門は事情を知るとあっさり百姓の味方になる。ここいらへんはいきなりズバリと本題へ突っ込んでくる、イイ導入部です。

 丹波との約束をいったんは承諾した代官だったが、これを裏切り、首謀者の百姓たちを惨殺する。代官のところにいた浪人・平幹二郎も丹波の熱意に打たれ、代官の悪辣さにあいそをつかして、丹波の味方になる。三人が集結した水車小屋に追手が迫る。

 東映の紙芝居風(というか演劇的な)なキレイキレイなテレビ時代劇に慣れているものですから、なんかすごく汚い。セットも衣装も。考えてみれば浪人(百姓、市井の町人も)なんて金もないし定職もないのですから、おフロだって入れないでしょうし、着物だってパリッとしているはずがないのです。女郎屋の、まるで牛の斑点みたいなシミだらけの障子とか。それが一番、今見ると新鮮でした。モノクロの階調が「深くて厚い」画面は迫力あります。

 丹波哲郎(当時)の剛直さ、後の「いも侍」に発展する長門勇の愛敬の陰に隠れた凄味、平幹二郎のニヒリズム、いずれのキャラクターも、テレビでじっくり熟成された役どころ。特に長門勇が、うっかり斬ってしまった百姓の女房に、仇は自分だと言い出せず、モジモジしていると、やがて彼女に惚れられてしまうところ。そして、その女房に一緒に逃げようと誘われたとき、仲間の丹波と平を見殺しにできない、というわけでついに真実を告白し走り去るところ。いい味です。惚れます。

 その女房なんですがうまい女優さんだなあと思ってたら、木村俊恵?ほら、「仁義なき戦い」で金子"山村親分"信雄の奥さん演じてた女優さん。中谷一郎と結婚する当日に亡くなった人。地味ですが抑制の効いた芝居で、味わい深いものがありました。

 三人三様のエピソードがエネルギッシュに展開します。くどくど説明せずに一気にガーッと進むので目が離せません。長門と百姓の女房、丹波と代官の娘、平と女郎屋の女将・三原葉子これらの愛情劇も絡みます。汗臭くて、埃っぽくて、ギラギラして。ぬかるみ、破れ障子、照りつける太陽、画面に登場するすべてのアイテムが、観客に迫り、登場人物たちを駆り立てます。無駄が全然ありません。これが五社英雄の美学でしょうか。そして本作品ではそれにきっちり役者が応えて、実に見事なのです。

 ダイナミック!。まさにその言葉がぴったりです。ラストの殺陣も、音楽(お囃子)を使わずに、風の音、空を斬る刀の音、足音、着物の裾がすれる音、そしてSE、これだけでカメラと役者が大移動しながら走る、転ぶ、斬る、斬られる。水車小屋のセットも実に巧妙に、破壊されていきます。ゼーゼーしながらもなんとか大勢の追手を倒した丹波は、平と長門とは一旦別れて、死んだ百姓からあずかった直訴状を持って村に引き返しますが、もう誰も立ち上がるものはいないのです。落胆した丹波は代官屋敷で、代官を斬ろうとしますが桑野みゆきに止められます。

 三匹は村はずれで落ち合い、桑野みゆきの簪をほうり投げて行き先を決め、仲良く旅を続けることにします。三匹を見送る簪の使い方も絶妙です。侍は何のために戦うのか、仲間とは何か、命をかけて守るべきものは何なのか。桑野みゆきの台詞ではありませんが「なんだかわからない」何かが心を熱くしてくれる素晴しい映画です。

1997年01月15日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16