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コミック雑誌なんかいらない!


■公開:1985年
■制作:ニューセンチュリー
■監督:滝田洋二郎
■助監:
■脚本:内田裕也、高木功
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:内田裕也
■備考:制作当時のスキャンダラスな人物(本物多数)がめじろおし。


 現実は小説よりも奇、かつ、コミック雑誌より滑稽で愚劣。

 テレビレポーター・内田裕也が「現実」と「虚構」を駆け抜ける「テレビレポーター」のいかがわしさ、無神経さ、節操のなさを、殴られたり、脅されたり、びびったりしながらオムニバスのように綴っていく。そしてクライマックスは制作当時はまだ、できたてホヤホヤ(?!)だった豊田商事社長襲撃事件。

 カルトの神様・石井輝男監督が映画の中に本物の阿部定さんを登場させたときには、軽いめまいを感じたもの。が、本作品でもそれに負けないくらい強烈な「三浦和義へのインタビュー」が登場。本物だよ、景山民夫のツクリモノじゃないんだよ。逮捕直前(だったのかな)、これから殺処分される捨て犬みたいな「そこはかとなさ」。万感胸に迫る思いってとこかな?そんないいもんじゃないけどね。

 内田裕也が「テレビレポーター」の生態をサンプリングして演じるところがなかなか痛快。だってさあ、いっつも追っかけられるほうだもの内田裕也って。よく、「下戸のほうが酔っ払いの芝居がうまい」って言うでしょ?あれと同じで「観察は力なり!」ってことかな。

 ゴキブリのようなたくましさで追っかけまわし聖子ちゃんに嫌われている姿、やくざの事務所(こ、これ本物じゃん?組員さんの顔にボカシ入ってる!)の前ではビビってなにもできない姿、等「テレビレポーター」の悲しくもたくましい姿をぶっきらぼうに淡々と演じる。余計な芝居が(でき)ないだけに妙に五感に訴えるような臨場感が見事。

 なんでこんなことしなけりゃならんのよ!という主人公の葛藤が夜の新宿をさまよう姿と国会議事堂前で自分を応援する主人公の姿に如実に出てます。まあ「おまえら恥ずかしくねーのか?」とも取れるのですが、ここでは単なる「テレビレポーターへの意趣返し」じゃないと、とらえておきましょう。そんな単純な話だったら内田裕也が演じるわけないと思うことにします。「見てるお前ら(視聴者/私含む)」にたたきつけた挑戦状というのが私の見方ですが、どうでしょうか?

 「豊田商事社長襲撃事件」は社長がマスコミ環視の中であれよあれよと言う間に惨殺されて幕になりました。この事件の主犯・中小企業のおやじ役をビートたけしが、実にリアルに演じます。たけしの演技力なのか、それとも当の犯人さんの言動があまりにも演劇的だったせいなのか?そこいらへんが微妙ですけどね。

 社長の部屋に暴漢が乱入したとき、蜜に群がるアリの目玉のようなカメラを押し退けて、内田裕也は現場に飛び込み、殺戮を阻止しようとします。事件後、フラフラになって出てきた彼に、被害者の安否そっちのけで取材するマスコミ。これがまた実際の事件でも、意気揚々と出てきた犯人に付き従うように「宇宙人さんを、つかまえた!」的なノリで「この人が犯人や!」と興奮気味に叫んだレポーターのアホタレな姿とシンクロして見ていてムカツキます。そんな中で彼はカメラに向かって『ファック!』とつぶやくのです。

 まったく映画よりも映画的なとんでもない現実。滅入ります。それがまた現在ではさらにバージョンアップしてるから始末に負えんな、まったく。

 「怒る大人」をバカにする風潮が蔓延している昨今ですが、「怒るタイミング」を逸するととんでもないことになるんだぜ、というのがこの映画のメッセージなのだと、このラストを見たとき思いました。

 ラストシーンで内田裕也はトレントコートを着て野球場のマウンドに立っています。そしておもむろにスラックスの「社会の窓」を開けそのなかから太めの◯◯◯を取り出し、、、そこでストップモーションになります。これは内田裕也のキワモノ映画の傑作です。

注:◯◯◯=マイク(マイクロフォン)です、念のため

1997年02月22日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16