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気違い部落


■公開:1957年
■制作:松竹
■監督:渋谷実
■助監:
■脚本:菊島隆三
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:伊藤雄之助
■備考:


 私のように本を全然読まないような人間にとっては「気違い部落」と聞くと、「まぼろしの市街戦」に出てきたJ・C・ブリアリとかがいた、精神病患者が支配している(放牧されている、とも言うかな)世間から隔絶している村のことかな?それとも「プリズナー」みたいなのか?と思いましたが全然違ってました。閉鎖的かつ排他的かつ風変わりな村人たちの生態をユーモラスに描いた映画でした。

 たとえば自分ちの軒先の天水桶がちょっと一休みするのに絶好だということで、通行人が腰をかける、、で、それが気に入らないからって、蓋の裏側から五寸釘を打って、剣山のようにしてしまう奴がいる。赤犬は旨いので捕まえようと狙っていると、ライバル(人間ですよ)が横取りしに来るという、、まるで畜生並みの食生活を送っている奴がいる。村は二人のボス(株屋=山形勲と高利貸=須賀不二男)によって牛耳られており、派閥抗争などのもめ事は撤夜の賭けマージャンで解決されるのだ。

 頑固な百姓・伊藤雄之助が神社の境内の土地所有に関していちゃもんをつけ、両親分から村八分にされる。ボスの息子と恋仲になった娘が肺を病む。元軍医だった駐在が昔の伝でストマイシンを安価に伊藤に届けたため娘は日増しに元気になっていく。が、あれほど回復したかに見えた娘が突然死んでしまう。不審に思った駐在が問いただすと、娘は元気になったしストマイシンは高価に売れると聞いたので隣村の金持ちに売っていたのだと告白する。

 村八分って言うのは「婚礼と葬式」以外はシカトすることだと聞いたことがありますが意地になったボスどもは、娘の葬式にも女房共を手伝いには出しません。雨の中、棺桶を埋めに行く夫婦の大八車。そんな非道な仕打ちに黙っているわけにはいかないので、ついにブチ切れた伊藤雄之助が放火をします。イカれた人々と環境に愛想をつかしたボスの息子は立ち上る煙を見て、ますます幻滅し村を去ります。

 村の人々の出演者がとにかく凄い。伊藤の妻が淡島千景、ほか清川虹子信欣三中村是好、伴淳三郎、荒木道子、賀原夏子、そして三井弘次(伊藤とのコンビネーションが良かった)。

 村の人々のユーモラスな生活描写は楽しかったのですが、後半、娘が死んでからはなんだか説教臭くなってしまってイマイチでした。駐在のバンジュンが、親切が仇となったというような雰囲気で「百姓というものをよく知らなかった俺が悪いんだ」と伊藤をなぐさめる(?)シーンもちょっと意味不明でしたね。むしろ前半のグータラな男共のばかばかしい協奏曲を最後までひっぱっても良かったような気がしますけど。

 娘が死のうが、火事が起ころうが、この村の風変わりな人々の生活は全然ヘッチャラで続いて行くんだろうなあ。ナレーションが森繁久彌で、これは良かった。カリカチュアライズされた村人たちのキャラクターですが、よく考えると「そこいらへん」にいそうな人物ばかり。日本の精神風土を一つの部落の生態系に閉じ込めて見せてくれた映画なのですね。

1997年01月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16