「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


さくら隊散る


■公開:1988年
■制作:近代映画社
■監督:新藤兼人
■助監:
■脚本:新藤兼人
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:古田将士
■備考:


 「ダンテズピーク」が雲仙普賢岳の大規模火砕流を参考にしていることは疑いようがない、と私は思っている、違ったらゴメン。破壊の情景というのは特撮技術の見せ場でもある。しかし、いかなる特撮も現実には勝てない、ってのはあたりまえ。この「さくら隊散る」は移動演劇隊が広島で被爆した後、各団員が死に至るまでの経緯を丹念に描いている。

 丸山定夫と園井恵子だけは知っていた。丸山定夫は映画の作品は見たことがなかったが名前だけは、映画を見たことがない私ですら何かの機会で耳にしていた。園井恵子は坂東妻三郎の「無法松の一生」で未亡人を演じた女優。清楚で美しく、ああ明治の貴婦人というのはこういうものかと、凛とした雰囲気の中にたおやかな色香を感じさせて素晴しかった。

 移動演劇隊は広島市で公演中に被爆した。その中に高山象三という名前を見つけた。彼の実父・高山徳右衛門は東映の時代劇ではもっぱら、ギョロリとした眼光がひび割れた皺面に鋭かった薄田研二である。戦後の東映時代劇を支えた、しなやかなブドウの弦のような肢体の名悪役は、このような辛い過去を背負っていたわけだ。知らなかったとはいえ、登場する度に「なんて憎ったらしーヤツ!」と悪態をついていたので、なんだか申し訳ないような気分になった。

 広島の破壊し尽くされた市街に被爆した親族を探しに来るシーン。当時の惨状を撮影したモノクロ写真を、畳一畳くらいのパネルにして、かき割のように林立させ、登場人物の足元には四つ切りパネルに同じくモノクロ写真をはりつけて、それをおびただしい数まき散らした。立体物は人物だけなのに、平板なはずの背景が妙にリアルで、写真のパネルもただの四角い板のはずが、がれきや瓦に見えてとても不思議な光景であった。片目で遠近感の無いカメラのレンズだからできたマジックか。

 ある者は全身が焼けるように熱(暑)くなり井戸の水を狂ったように浴びながら、ある者はもう吐くものがなくなっても吐き続け、ある者は被爆後一時は回復したように見えて死ぬ。それはこの「さくら隊」の人々に限らず当時、あの閃光に被爆させられた人々に等しく訪れた(あるいは訪れるのではないかと思われた)悲劇。

 派手な特撮も饒舌な台詞もこれといって登場しない。もの静かなナレーションと現代の俳優達による「再現ドラマ」は背筋が凍り付くような、静かな迫力に満々ていた。林光の音楽も印象的。

 「辛かったんだね」と一言、たった一言しか言えないけど。

1997年05月07日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16