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あらかじめ失われた恋人たちよ


■公開:1971年
■制作:ポール・ヴォールト・プロ、ATG
■監督:田原総一郎、清水邦夫
■助監:
■脚本:田原総一郎、清水邦夫
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:石橋蓮司
■備考:あのころ君は若かった。


 棒高跳びの選手としてインターハイまでいきながらドロップアウトした石橋蓮司は無職のプータロー。バスで出会った歯痛持ちのサラリーマンから陽気にカツアゲし、能登の朝市で強姦魔として誤認逮捕された蓮司は、警察で半殺しの目にあう。駅前のスーパーでパフォーマンスのアルバイトをしていたカップル・加納典明桃井かおりは唖だった。

 蓮司はなんとなくこの二人に付きまとうが、典明と桃井は全く意に介さず、自由に愛しあう。米軍の射爆場の跡地での奇妙な共同生活を経て、典明と桃井が、かけおちしてきたことを知った蓮司は、警察の追及をかわし、逃げ続ける二人と一緒に旅を続けるうちに次第に自ら言葉を放棄していく。

 「メリージェーン」(BY・つのだ★ひろ)がガンガンひびくオープニング。駅前で警察の暴力、庶民の暴力について大演説かました蓮司だが、誰も耳を貸さない。女を襲ったり、かっぱらいをしたり、万引き、カツアゲと「やんちゃ」をしながら悶々と暴れる彼と、唖のカップルは奇妙な対比を見せる。新人の桃井と典明の台詞回しがどーしよーもないから「唖」にしたわけじゃないだろうが、なんにもしない、典明と桃井はただ自然だ。男は狩りをし、女は洗濯をする。現代の縄文人なんですね、この二人。

 言葉や社会的な評価に頼って、挫折して、そんな人間が縄文人と共同生活をする、そういう映画。そこにあるのはカルチャーショックだったり、自己反省だったり、まあ言葉で説明すると理屈っぽいのだけれど、昔の映画ってみんな左翼してたよなあ、というのは乱暴ですが、警察や右翼が「嫌い」だったのは事実のようで。

 場所が能登、北陸の観光地。その吹けば飛ぶような文明社会を舞台にしているのがなんとも言えません。射爆場の跡地から三人を追い立てに来る「青年団」(団長:蟹江敬三)の「俺たちの土地から出て行け!」に集約される文明批判めいたものは、いかにも直球ストレート!ってところが分かりやすい。桃井を採石場のあらくれどもに略奪された典明が、追跡のため車を奪ったとき、蓮司が「おまえ、唖のくせに運転できんのかよお」と言いますが、どっこい典明は千葉ちゃんもびっくりのドライビングテクニックを披露。

 最後のほうになるといつのまにか蓮司は「偽唖」として生活するようになります。そこでいきなり画面はシュールな展開へ。厚生省と機動隊が三人の暮らしていた浜辺に「ミサイル攻撃」!「偽唖」の蓮司は巧みに爆弾を避けますが、典明と桃井は目をやられてしまいます。この頃から悪役だったのか?厚生省は。「安保型ジグザク行進」をする機動隊。う〜ん、左翼映画って難しい。切羽詰まると必ずわけのわかんないコトするんだから、、。(「私が棄てた女」参照)

 石橋蓮司がともかく元気いっぱい。どうしようもなくいとおしい「おバカ」を全身で見せる。やたらと海に入りたがる(または落ちる)人々で、ああ人類の起源は海なんだなあと思いました。典明が犯された桃井を海で丁寧に洗っていたり、蓮司と二人で全裸で泳ぐところも、すごく気持ち良さそう。

 「唖のカップル」といえば近年では「あの夏、いちばん静かな海」が思い出される。テレビなら「星の金貨」ってとこですか。現代のお伽話のような、、という点でなんとなく似た「香り」がするが、蓮司と典明と桃井の「70年代のドリカム」は最近の「そういう人々が出て来る映画」に比べてものすごく無垢で逞しい。

1997年04月06日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16