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帝都大戦


■公開:1989年

■制作:エグゼ

■監督:一瀬隆重

■脚本:植岡喜晴、李美儀

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:加藤雅也

■寸評:野沢直子、「はなぢ」どころではなく大流血。


 まずはじめにお断りをしておく。「映画を選ばない、最後までちゃんと見る、どんな映画にもどこかに良いところはある(はず)」をモットーに生きてきた私をかつてこれ程までにシオシオのパーにした映画があっただろうか、っつうくらい物凄くつまらなかった映画がこれである。

 原作は荒俣宏の「帝都物語」の一遍。この作品の前年に封切られた「帝都物語」は監督・実相寺昭雄と脚本・林海象のお遊びがすぎてかなりエグイ代物になってしまったが、勝新太郎、平幹二郎、坂東玉三郎、桂三枝というデンジャラス&アブノーマル&お笑いという「闇鍋」キャストでそれなりに将来カルト映画として「幻の湖」「恐怖奇形人間」なみの存在に昇華するするであろう期待を抱かせた。が、本作品はそんなロマンチックな希望すら、こっぱ微塵にうちくだくほどのダサイ映画だ。

 第二次世界大戦の末期、荒廃した帝都に打ち捨てられた死体の山から妖怪憲兵、加藤・嶋田久作が蘇る。将門の末裔である看護婦・南果歩は霊能力で彼の復活を感じる。同じころ、いかがわしい宗教団体の教祖・丹波哲郎に育てられた超能力青年・加藤雅也が嶋田久作に教われ負傷、南の病院に運び込まれる。嶋田はさらに都内で破壊活動を続ける。軍部の依頼で連合国のVIPを呪殺するという途方もない計画をたてていた丹波だが、帝都の徹底的な破壊を目論む嶋田久作がそれを妨害する。

 原作を全然読んでないとか、加藤雅也と南果歩によるサワヤカな画面を想像した私にも落度はあるのだろうが、実に暗くてダルいSF映画である。ハリウッドで活躍中の日本人特殊効果技術者のマッド・ジョージを「超現実視覚効果」ってキャッチフレーズをつけてしまう感覚がすでに危険な兆候を示していた。彼のビジュアル的な造形センスとか、香港のスタントマン達によるフィジカルな迫力とか見るべきものは多いのだが、完成した映画がしょっぱいもんだからすべて台なし、お気の毒。

 南の同僚の看護婦達の描写、特に野沢直子(彼女が悪いのではない)が居眠りをしていて起きたら髪の毛が逆立っていたとか爆撃機をのんびり見物していて唐突にハチの巣にされ血まみれで倒れるところとか、観客がどんなリアクションをとればいいのかまったく判断できないチグハグさが全てのシーンに共通している。呪殺計画にかかわる丹波哲郎、日下武(この人を近衛文磨役に抜擢したのは評価できる)、高橋長英中丸忠雄土屋嘉男草薙幸二郎という渋みのありすぎる配役も浮きまくり。

 加藤雅也の腕折りのシーンも「ドリフ大爆笑」みたいな稚拙さだった。ちなみに加藤雅也は元々あったショボい超能力を電気的に高められたという過去をもっており、つまり高度の超能力を使用するのは枯れ井戸から水を汲み出すようなものなので、衝撃に耐えられずエクトプラズムをゲロゲロ戻したり耳から血を出したりする。「スキャナーズ」かよ、お前は。人体爆発シーンでも、まだ「服部半蔵」のほうがマシだったのでは?と思えるデキ。嶋田久作(植木屋でアルバイトの経験あり)が「ビリケン」のように鉄塔の上に防護ネットなし(CG合成なし)で立っているシーンのほうがよっぽど迫力あったぞ。

 最後は南果歩が将門の霊力を借りて見事、嶋田久作を破壊する。嶋田の体内に入った加藤のパワーが大暴れして悶絶した挙句に目玉がピョロ〜ンと飛び出すところ、さらに嶋田の顔が内側にへしゃげるのだがここもなんだか「北斗の拳」とか「直撃!地獄拳」みたいな感じがしてしまう。この映画のつまらない部分というのはあれもこれもとアイデアをパクっておきながら、しかも全然サマになっていないというところだ。ならば徹底的にハメをはずせばよかったのに妙に「まとめよう」という小細工が見えて結局、失敗したんだろうな。だが世の中というのは不条理なものだから以外と後で話題になったりするかもしれない。それまでフィルムがジャンクされないことを祈ろう。

1996年11月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16