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蛇娘と白髪魔


■公開:1968年

■制作:大映

■監督:湯浅憲明

■助監:

■脚本:長谷川公之

■原作:

■撮影:

■音楽:菊池俊輔

■美術:

■主演:

■寸評:


 菊池俊輔の劇伴はどんな映画でもたちどころに「B級映画」に変える。全然、期待しないで見てやっぱりなあと思ったら、実は「知る人ぞ知る」的な作品だったりするとなんとなく得した気分になるのは私だけではあるまい。

 みなし子として施設で育てられた小百合・松井八知栄はある日、金持ちの北原義郎が父親であることが判明したため、彼の屋敷に引き取られる。そこには冷酷な家政婦と事故で頭がパーになった母親が暮らしていた。

 父親が出張してしまうと小百合の寝室に奇怪な現象が起こり始める。その家には幼い頃、産院で小百合と取り違えられてしまい、その家の娘として成長したが途中で気が狂ってしまったため、病院送りになったはずのもう一人の娘、タマミ・高橋まゆみが人知れず住んでいたのだった。

 タイトルだけでそそられる映画というのは数あるが、B級映画というのはタイトルが仰々しいほどインパクトが強い。これなんかもう、絶対にバカバカしくて、ちゃっちいんだろうなと思いながら、それでもやっぱり観てしまい、予想通りの貧乏臭さだったりするとそれなりに満足できてしまうという実に王道的なB級映画である。

 大体だねえ、パパが毒蛇研究家でママは精神異常なのよこの家は。すごいでしょ?

 楳図かずおの「ママがこわい」って確か蛇のたたりかなんかでママが蛇女になる話でしょ?それに「赤ん坊少女(タマミ)」がミックスされてるんだけど、あの「タマミ」の容姿を映画で再現しようと思ったら近ごろはやりの3DCGか、リック・ベイカーの特殊メイクか、ジム・ヘンソンの力でも借りない限り絶対に無理である。しかたないからってせっかくの原作のコンセプトを捨てて、財産乗っ取りに絡む陳腐なミステリーにしてしまったのはいただけなかった。

 真犯人はこれから観る人のために秘密にしておこう(それほどのもんかあ?)。ただし映画が始まって10分以内に分かってしまうんだが。原作のタマミは体の成長が5歳くらいで停止しておまけにシワだらけのホラーな面相。それ故、天井裏に隠れ住んでいるのだが、映画では顔に醜い痣があって、おまけに蛇好きが高じて体中に鱗が生えた(魚鱗せん、ってやつかな?「ブラックジャック」参照)というキャラクターになっている。

 すごいのは度重なる殺人あるいは恐喝の武器として使用される「毒蛇」だ。作り物で全然構わないシーンでも本物だったりする。それと、自分を蛇だと信じているタマミが、小百合が学校から持ち帰った「蛙」に喜々とした目(餌として)を向けたり、両生類図鑑を見ながらうっとりするシーンなんかあまりのストレートさに目からウロコが落ちる思いだ。小細工に頼らない(できない)分かりやすい演出、これこそB級映画の真髄である。

 白髪魔とタマミはグルになってビルの工事現場に小百合を追い詰め突き落とそうとする。金の亡者になった白髪魔は秘密がバレそうになっため孤児院のシスターを殺害している。目に余る非道なふるまいにビビったタマミが白髪魔を制止しようとして代わりに転落する。白髪魔は逮捕され、父親も帰ってきて、小百合は最後に自分を助けてくれた非業のタマミの墓に手を合わせるのだった。

 タマミの体が頭部を直撃したことで記憶が戻り、正常になった母親。この強引なオチのつけかたもまた魅力である。

 この映画を支えていたのはタマミ役の高橋まゆみの捨て身の演技だ。痣を隠すためにマスクをつけているのだが、普通そういう設定の場合は素顔でやるものだ。ところが本作品では彼女は顔に美容パックをした状態で演じきった。パックのために生じる「引きつれ」に凄みがあって素晴しかった。他にもラバーで特殊な唇を作り牙をのぞかせて凄んだりと、とても子役とは思えないような実に根性のある演技を見せてくれた。

 この映画、地味ながら実は楳図かずお本人がちゃっかり出演していたりするあなどれない作品である。好事家(特撮ファン)のあいだではけっこうステータスが高いらしい。意外なところにお宝は眠っているものだ、もちろんそれを「お宝」と思える人だけにとってであるが。

1996年11月29日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16