三大怪獣 地球最大の決戦 |
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■公開:1964年 ■制作:東宝 ■監督:本多猪四郎 ■助監: ■脚本:関沢新一 ■原作: ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:夏木陽介 ■寸評:若林映子の「金星人」王女は「ローマの休日」。 |
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筆者の観る映画ではことごとく性格がキツイか悪いかのどっちかなんだがいかがなものか?星由里子。 金星人からのコンタクトにより、来日の途中、飛行機爆破事故からただ一人生還した外国人王女・若林映子は記憶を失って「私は金星人」と名乗る。彼女を護衛するはずだった刑事・夏木陽介はなんとか回復を試みようと科学者・志村喬に依頼する。 若林は日本の各地に怪獣が出現することを予言し、それがバカスカ当たるので、一躍マスコミが注目しだす。彼女を追ってきた暗殺グループの首領・伊藤久哉がチャンスをうかがっていた。若林は「金星を滅ぼしたキングギドラが襲来する」と言う。半信半疑だった夏木や妹・星由里子、地質学者・小泉博らだったが、謎の隕石から誕生した「金色の怪獣」を目撃するに至って危機感は現実のものとなる。 このさいモスラに助けてもらいましょうということでインファント島へ行く一行。幼虫であるモスラがゴジラとラドンに協力を呼びかけるが「なんで人間なんか助けなきゃいけないんだよお」と断わられてしまう。一人でキングギドラに立ち向かうモスラは善戦するが歯が立たない。この様子を見ていたゴジラ兄さんは意気に感じ、舎弟のラドンを引き連れて、応援に駆けつけるのだった。 「モスラ対ゴジラ」までは極悪怪獣だったゴジラが急に人間の味方になったということで、怪獣ファン(サポーターって呼んでほしい?)には不評なところもあるらしい。おまけに怪獣どもがテレパシーでザ・ピーナッツの口を借りてはいるが「言葉」を話すというシーンも初登場であり、ここからゴジラの崩壊が始まったという意見もあるようだ。とりあえず私は人間の子供を救出するために捨て身の攻撃を仕掛けるモスラや、ブッ壊しは大好きだが「イジメ」は許さねえぜ、と、怨執を捨てタッグを組むゴジラもラドンも素敵だと思う。夢があって、いいじゃん。 特に、飛行能力のある強敵に対して、モスラを担いで空を飛ぶという連携プレーを考案したラドンは実に素晴しい奴である。いつもは乱暴ものだがイザとなると「頼れるリーダー」になるゴジラ。例えるならばゴジラは「ジャイアン」でラドンは「スネ夫」っちゅうところだな。無理やりな理屈をつけて、自分の都合の悪いときにだけ怪獣に頼りまくる文明人(特に星由里子)は「のび太」だな。モスラ?やっぱ「ドラえもん」でしょう、立場的には。 若林映子はプロポーション抜群の近代的な面差しの美人だがこの作品の演技が強烈だったため以降、私のなかでは「金星人のヒト」として存在し続けた。サングラスの殺し屋、伊藤久哉は仲間を失っても瀕死の重傷を負っていても執拗に若林を追いかける蛇のように執念深い奴だ。断崖で若林と夏木陽介を追い詰めるが怪獣バトルの余波をうけて、落下してきた岩石の「体当り」をモロに受けて墜落死する。落ちてくる作り物の「石」と受け止めるタイミングが微妙にズレたためかなりマヌケなシーンになっており、非業の最後を観客の爆笑のなかで迎えてしまった伊藤久哉であった。 記憶が回復した若林映子が母国に戻る空港でのシーンは、淡い恋愛感情を交した夏木陽介との離れ難いという思いの吐露ゆえに「ローマの休日」のような風情。怪獣のバトルロイヤル(複数のレスラーがいっしょくたになって戦う集団勝ち抜き戦)とプラトニックなラブストーリーの合体という「その後の怪獣映画」の一つの潮流を確立した映画である。 (1996年11月11日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16