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ハチ公物語


■公開:1987年

■制作:松竹

■監督:神山征二郎

■助監:

■脚本:新藤兼人

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:仲代達矢

■寸評:日本犬は我が強く芸を覚えない。


 東京の渋谷という駅は谷の底に位置しているため周囲の見通しがとても悪い場末のターミナル駅に過ぎなかった。東京オリンピックを経て西武資本が進出しそれに対抗して東急が開発に力を入れたために、なんだか急に小じゃれた町に変身したわけだ。そんな渋谷の代表的なランドマークが「ハチ公像」である。

 秋田犬のハチ公が急逝した主人のことを渋谷の駅頭で待ち続けたという美談を素直に映画化している本作品。大学教授・仲代達矢は、妻・八千草薫や娘・石野真子がやきもちを焼くほどハチをかわいがる。ほほえましくもあるのだが犬フリークにとってはなんとも歯がゆい場面が随所に見られる。

 秋田犬というのは犬の本能に忠実、というか実に犬らしい犬なのである。つまりだねえ近ごろのコンパニオンアニマルと呼ばれる外国産の「ペット犬」とは一線を画すわけだ。我が強くて縄張り根性が強い、主人にだけは忠実だが他人には攻撃的。アメリカでは「番犬」としてつとにニーズが高かった時代もあったほど。

 「ラッシー」「リンチンチン」「ベンジー」等のように、達者な名優(名犬)の演技力が堪能できるのか思いきや、実はそのあたりはかなり辛い。ハチ公(特に成犬後)の演技力について検証してみよう。ハチは主人である仲代と視線をあわせるのを極端に嫌がる傾向があるようだ。確かに人間同様、犬畜生の世界でもメンタン切るというのはケンカの合図であるから犬が身構えるのは自然だ。本当の主人が相手なら「あれ?どうしたのかな?」と不安になった犬が人間の顔色を伺うという態度に出るものだ(あと唐突にアクビしたりする)。が、本作品の忠犬・ハチは「うざってえぜ」って態度がミエミエ。プロ意識の低いヤツだぜまったく。

 夢のなかで桜の木の下を主人の仲代達矢を目がけてわき目も振らず一目散に走る、ハズのシーンでもキョロキョロと落ち着かないことこの上ない。それでもなんとかカメラワークでごまかしてはいるのだが、やはり「ドッグトレーナーのほうばっか見てんじゃねえ!」とツッコミたくなるのだ。これが和犬の演技力の限界なのかと、まざまざと見せつけられたようだ。せめて「遊星からの物体X」で頭がザンボラー(注:ウルトラマンに出て来た怪獣の名前)になっちゃうシベリアンハスキーくらいは魅せて欲しかったな。

 じゃあ映画がつまらなかったかというとそうはいかないところが動物映画の奥の深さだ。「ハチの誕生」シーンでまず心情ムツゴロウ状態になった観客を、仲代一家の春夏秋冬を丹念に描く上でのアクセントとして登場する「ハチの成長日記」でグッとひきつけて、老犬になってヨボヨボしながら降りしきる雪のなかで幻の主人を出迎えて「力尽きるハチ」で一気に泣かせるスムーズな演出。セオリーと分かっていても身を任せる楽しさを味わえる。このへんは脚本(新藤兼人)のうまさである。

 私の父親は晩年のハチ公(本物)を目撃したことがあるそうだ。その印象というのが「なんだかドテーッとした犬だったなあ」というもの。ハチ公が渋谷駅に執着した理由はその後色々と暴露話しのような形で諸説あったが、美談にけちをつけたくなるのも、また人情である。本当の理由はハチ公だけが知っているんだしさ。秋田犬を含め和犬ファンはこれと「黄金の犬」「ハラスのいた日々」を総称して「日本犬映画三部作」と呼んでいるそうだ。別説では「奇蹟の山・さよなら名犬平治」と先述した2本をあわせて「柴犬三部作」というらしい。(どっちもウソだけど)

1996年11月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16