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ニッポン無責任時代


■公開:1962年

■制作:東宝

■監督:古沢憲吾

■助監:

■脚本:田波靖男、松木ひろし

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:植木等

■寸評:時代はクレージーを待っている!


 手前事で恐縮ですが筆者はかれこれ10年以上、乗馬を趣味としている。

 乗馬のレッスンというのは何人かがグループになって教官の号令に合わせて走ったり止まったりするんですが、馬の習性として「付和雷同」というのがあって、つまり自分の前にいる馬にくっついて行こうとするわけですね。前の馬が駆け足をするとつられて走り出す、と。

 初心者に駆け足を体験させるべく私が先導することになったとき、ショボイじいさんの生徒が後ろについてきました。「オイオイ、大丈夫かよ」という不安が的中し、馬は順調にスタートしたのに人間がオタオタして、こりゃヤバイってんで私は馬を止めました。するとうしろから「イヤッハッハッハ〜」とどこかで聞いたような笑い声。ふりむくとそこに無責任男・植木等がいました。ちょうどその頃、黒澤明監督の「乱」の制作中だったので都内にあるその乗馬クラブには俳優さん達がこぞって練習に来ていたのでした。

 あのバカ笑いは演技ではなかった「地」だったのかと感動した、あの日。肝心の映画の中では砂丘の真ん中で止まった馬に股がっていただけだったが、、。さて、そんなわけで人一倍、植木等に親近感を覚えた私が大好きなのがこの「無責任」シリーズである。所ジョージのコンセプトは限りなく植木等に近い。お笑いのできるミュージシャン、それが植木等である。主人公の名前は「平均」(たいらひとし)という。この人を食ったような名前の男は名前に違わぬ超お調子者であった。

 アメリカの大ヒットコメディ「努力しないで出世する方法」のラストはシニカルなものだったが、この映画はとことんニッポン・サラリーマンを笑いとばす。「滅私奉公」「努力と忍耐」が美徳とされた現実世界を蹴飛ばし、東宝のほのぼのサラリーマン映画の路線をも粉砕するほどのイキオイをもっていた。「いや〜諸君、元気ぃ?」と自信満々にオフィスを濶歩する主人公にタジタジとなる社員達。そしてなんだか無理やりだけれどいつのまにか出世してしまう主人公。「声がでかい」というのは会社という村社会では「武器」となる、の図。最後は会社を飛び出すが、あっという間にライバル社に再就職を果たしてしまう。

 なにかというとすぐ陽気に、のんきに歌い出す植木。本当にこんな奴がいたら相当アブナイが、そこはそれ映画であるからなんだか観ている人に「そうだよな、つまんないことでクヨクヨするのなんてバカだよな」という一種の精神的癒しをあたえたという、まことにありがたい映画なのである。あのバカ笑い一発でその場の空気を、映画館の客席を、「幸福」にしてしまう男・植木等。クレージーキャッツの面々もそれぞれ活躍。いつでも真面目な桜井センリが一番共感を得るキャラクターではないか。

 結婚生活がわびしいと感じたら、仕事でミスって滅入ったら、迷わずこの映画を観るべし。

 そして30年以上経た今日になってもやっぱりクレージーの映画は面白いという事実に驚愕するべきだ。客に説教を垂れるような大島渚の映画もたまには良いけれど、日本映画の年間観客動員数の上位を「東映マンガまつり」と「寅さん」と「釣バカ」が独占し続けたように、「喜劇」は時代を超えて人生を救い続けるのである。「いじめ」や「あざけり」の無い「お笑い」が創造できないような、精神的貧乏になってしまった今日、この映画はもっと評価されていい。

1996年11月29日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16