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ツィゴイネルワイゼン


■公開:1980年

■制作:シネマプラセット

■監督:鈴木清順

■助監:

■脚本:田中陽造

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:原田芳雄

■寸評:


 鈴木清順監督には熱烈なファンがいる。あの原色使いがイケてるからか?時空が歪んでいるからか?生死の境が曖昧だからか?不思議ちゃんがいっぱい出てくるからか?不条理っていうかそういうものを飛び越えた哲学的な思想に触れたような体験を得られるからか?それとも、よくわからないものを、よくわからないと、素直に認めるのが恐いからなのだろうか?

 あの日は寒かったな(遠い目)。渋谷の公園通りの近くの仮設テントで鑑賞したとき雨が降ってて、テントがしょぼい造りだったもんで雨漏りしてたんですよ後列では。そんな思い出が強烈な本作品。

 ドイツ語の先生をしている藤田敏八原田芳雄が旅行先で芸者・大谷直子と出会う。藤田には妻・大楠道代がいる。原田が結婚した相手は芸者とそっくりだったが子供を産んですぐに死んでしまう。その後妻というのが、、。とまあこんな話しなんだが。

 ストーリーっていっても、そんなもんキッチリ説明するのが大変だ。死んだはずの人間がいつの間にか生き返って(瓜二つの別人?)だったり、原田芳雄も途中から生きているのか死んでいるのかサッパリ不明になっちまうし、麿赤児は出て来るし、大楠道代は腐った水蜜桃ズルズル食うし、もうわけ分かりません。唯一マトモに見えた藤田敏八は単なる狂言回しで、ラストに「あなたは自分が生きていると思ってるのですか?」とかなんとかオカッパ頭の辻村ジュサブローの人形みたいな顔した少女に宣告されてうろたえる。ああやっぱりオマエも、、って感じだった。

 浜辺の別荘らしきところで「目にゴミが入った」大楠道代(藤田の妻)の目ん玉を原田芳雄がペロペロ舐めてあげる(マジで舐めるんだよな〜、これが。胸悪くなりそうだった。)シーンはおそらく日本映画史上、最高にイッちゃってる「ラブシーン」であると言えるだろう。牛鍋かなんかに入れるための「ちぎりこんにゃく」をブッブッと無言でつくっている大谷直子(原田の妻)の手の動きが次第に高揚し感極まって立ち上がるとザルにてんこ盛になった「こんにゃく」がドーンと画面に出て来る。このあたりの尋常でない空気感が印象深い。

 この世とあの世を駆け巡るような映像美は「田園に死す」に通じるような気がするが、本作品の「妖艶」さがたたえる退廃的なエロティックな「作り物の美学」は清順監督の「殺しの烙印」や「東京流れ者」の不条理感に原点があるのでは。

 鎌倉のまか不思議な風景、正体不明の登場人物、現実から幻想へ一気に飛んでしまう映像に観客は必死でついていきたくなるのだが。それを振り切って映画は終了してしまうという実に困った映画である。2時間という長編であるがまた見たくなる「麻薬」のような映画。

1996年12月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16