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大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン


■公開:1966年

■制作:大映

■監督:田中重雄

■助監:

■脚本:高橋二三

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:本郷功次郎

■寸評:ダイヤモンドが好きなのは人間だけではありません。


 真珠はガマクジラ、ダイヤモンドはバルゴン。

 子供映画に相応しくない俳優として筆頭に挙げられる一人が藤山浩二ではないか?(ほかに名和宏、千波丈太郎など)で、本作品ではその藤山浩二が徹底的な悪役として大活躍している。ので、本作品は子供向きではない、と言える(なんのこっちゃ)。

 ニューギニアというのは暑いところだがここで巨大なオパール(ダチョウの卵位か)が発掘されその争奪戦がやがては大惨事を引き起こす。宝石に見えたのは実は怪獣(バルゴン)の卵だったわけだ。ニューギニア出身だがバルゴンの武器は冷凍光線と背ビレから出る虹の様な破壊光線。なかなか手強い。ガメラは一度はやられてしまうが得意な淡水の水中(亀、ですから)にバルゴンを引きずり込んでついに勝利する。

 ガメラは子供の味方です。ガメラ映画というと子供を助けるために奔走する心優しい大怪獣というイメージがありましたがこの作品は少し違います。まず欲に目が眩んだ大人達のドロドロした殺人にまで発展する醜い宝石の奪いあいに、バルゴンを退治するためにやってきた南の島の現地人・江波杏子本郷功次郎のラブストーリーが絡みます。

 バルゴン誕生のきっかけを作るのが藤山浩二ってのもヘビーでしょう?。子供映画に登場させるにはあまりにも反教育的なご面相ですから。本郷と藤山が狭い飲み屋かなんかで格闘するシーンがあるんですがご両人ともなかなか立派な体格なのでかなり「本格的」ななぐりあいシーンでした。子供映画だと怪獣バトル以外は添えもの的な芝居が多いと思いますが、怪獣たちよりよっぽど迫力ありました。

 江波は先祖伝来の巨大なダイヤモンドをバルゴンの餌にして彼(ってバルゴンですよ)を苦手の水の中に誘導しようとします。バルゴンは宝石の(とりわけダイヤモンドの)光が大好きで、ついフラフラとついて行ってしまうという習性があるのだそうです。「湯島の白梅」じゃないけどダイヤモンドに目が眩むのはヒトも怪獣も同じなんですね。いや、目が眩んだらヒトも怪獣になってしまうのかも。オパールをパーにした藤山浩二がかわりに目をつけたのがこのダイヤモンドだったわけです。懲りない奴ですねえ、少しは責任を感じてもよさそうなもんですけど。

 人間のエゴで生まれたバルゴンは結局はガメラの必死の努力でやっつけられます。この作品からガメラは怪獣と戦うことになったらしいです。バルゴンは四つ足です。直立しないぶん直立歩行するゴジラのプロレスライクな戦い方に慣れていると少々モタモタしたような感じがしてしまいます。まあ体がすごく大きいという設定なのでスローな動きはそれなりに「らしく」はあるのですが、やはり着ぐるみに入っている人の苦労が見えてしまいシンドそうだなあ、といういらぬ心配をしてしまうのが大人のイケナイところでしょうか。

 怪獣映画といえば自衛隊。東宝だと司令官は藤田進というのが王道ですが、ここ大映では見明凡太郎でした。どっちが強そうかっていうとやっぱ藤田進でしょうか。なんといっても「姿三四郎」だし「隠し砦の三悪人」における豪快な侍大将の姿が焼き付いてますんで。ところが見明凡太郎は私にとっては「やくざ映画の因業な親分」だったり「花くらべ狸道中」の「悪徳狸」という印象が強いので困るわけです(子供はそういう映画は見ないから大丈夫、なのでしょうけど)。やはり自衛隊の偉い人の役者にはそれなりのイメージの人をもってきてもらいたいです。大映だったら、、勝新太郎とか、、怪獣より強そうってのも駄目ですね。とりあえずは小林勝彦あたりで手を打つか。

 この映画の大部分は夜が舞台です。怪獣は真昼の太陽に照らされて登場するより漆黒の夜空にヌッと現われたほうが迫力満点でいいな。この作品の併映が「大魔神」だったそうな。こりゃお得すぎる組み合わせですね。昔の子供がうらやましい限りです。

1996年12月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2008-04-07