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わるいやつら


■公開:1980年

■制作:松竹、霧プロ

■監督:野村芳太郎

■助監:

■脚本:井手雅人

■原作:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:片岡孝夫

■寸評:梨園の貴公子が演じる色悪の末路。


 歌舞伎俳優というのはそのステータスの高さにおいて日本芸能界では特殊なジャンルに置かれている。だから映画でもテレビでもあだやおろそかには扱われない待遇を受け、一目置かれているのが現状である。花形役者である片岡孝夫演じるところのこの映画の主人公は、ひ弱で分別のない女ったらしだがプライドだけはやたらに高い、全然ヤな奴だ。

 親が残した大病院の跡取り息子・片岡孝夫は人妻・藤真利子や料亭の女将・梶芽衣子、婦長・宮下順子らとのラブアフェアな生活を楽しんでいた。ある日、彼の目の前に美貌のデザイナー・松坂慶子が現われる。彼女に一目惚れした片岡は病院を担保に高利貸しから金をかりて気を引こうとするのだが、、。おそらく初めて「純愛」してしまった彼の不幸はこうして始まるのだった。

 片岡には幼いときから同居している藤田まことという男がいて彼を奴隷のように扱っている。片岡は医者という立場を利用して情婦達の関心を繋ぎ留めるために、あるいは金のために彼女達の亭主を巧妙に殺害していた。最初は女性を食い物にしていたかに見えた片岡孝夫が、実は女共に利用されていただけだったというオチ。全ては彼にゾッコンだった婦長を殺害しそこなったことからアシがつく。事件の黒幕は、、本当に「わるいやつ」は誰だったのか?

 この映画のように医者が職権を利用して殺人を犯すというストーリーは現代ではタブーになったようだ。「白い巨塔(誤診)」しかり「メス(故意の手術ミス)」しかりである。これらの作品は地上波のテレビではまずお目にかかれないだろう。これもひとえに故、武見太郎が作り上げた「医療の聖域化」作戦の賜だ。

 本作品の「殺人」テクニックは、多くは薬物注射による「心臓マヒ」であるが、特に「薬殺」に関する描写は興味深いものがある。主人公は人妻に夫を弱らせる薬だといってただの「風邪薬」を渡していたはずなのにやがて死亡した男の体内からヒ素が検出されるのだ。その事実を刑事の緒形拳から知らされた片岡孝夫が、人妻が夫のかかりつけの医者に依頼して毒物を入手したに違いないと思い「医者が書いた死亡診断書なんてあてになるもんか」と叫んで墓穴を掘る。

 実に背筋の寒くなるような映画である。自分が病気になって医者からもらう薬に「毒」が入っていたなんて、、、。それも医者が確信犯であったとしたらそれはもう絶望的ではないか。昨今の映画やテレビなどで描かれる医師像は「技術があって、人情味のある、色や金に溺れない、信頼すべき人物」ばかりになってしまった。医師の犯す「犯罪」がフィクションとして描かれなくなったのはそれが「創造の産物」ではなくなったからじゃないのか?

1996年11月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16