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夜の流れ


■公開:1960年

■制作:東宝

■監督:成瀬巳喜男、川島雄三

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:司葉子

■寸評:成瀬監督のパートと川島監督のパートを探して観ると面白いぞ。


 三橋達也が演じる板前はシベリア抑留の経験者、という設定だが、これは三橋達也の実体験である。

 お茶屋の一人娘・司葉子は母・山田五十鈴が新しい旦那・志村喬と愛人関係でいるのを少々軽蔑している。司はシベリア抑留帰りの板前・三橋達也が好きだ。今日も仲良しの芸者・水谷良重(現・八重子)とともにお座敷に上がったりして自由気ままに暮らしている。ある日、ホテルのプールで志村喬の秘書・中丸忠雄とお見合いをさせられるが彼女は「優等生はいや」と言って断わってしまう。司は志村の娘・白川由美とは親友であるが、志村の妻からは「だらしない娘」だと思われているのだった。

 映画の冒頭、芸者達がクラシカルな水着姿で勢ぞろいする。場所はどこぞのホテルのプール。あでやかな彼女達に「どうだい!あの胸プルンプルンしてるじゃねえかあ」と無粋な視線を投げかける学生達の一団、太陽族ってやつか?慎太郎刈りがまぶしいぜ。

 花柳界の生態というのは一般人にとってはもうひとつの別の世界であると同時に、一種の憧れである。美しい着物に身を包んだ女性達、日本髪にお白粉の匂いがたちこめて、、。彼女らが背負っている人間ドラマの描き分けがこの映画のコンセプトだ。別れた甲斐性なしの亭主にいつまでも付きまとわれたり、苦学生の弟の面倒を見ていたり、おぼっちゃん学生に輪姦されたり、というさまざまな芸者達のエピソードが織り込まれていく。

 山田五十鈴は実は三橋達也とデキており、それが司葉子にばれてしまう。三橋達也は司との板ばさみのようになって山田に別れ話しを持ちかけるが逆上した山田に包丁で心中を迫られ、姿を消す。そんな痴話喧嘩の顛末はやがて志村喬の知るところとなり、山田はお茶屋を新しい女将・越路吹雪に乗っ取られ追い出される。鬼気迫る山田五十鈴の愛憎渦巻く修羅場の演技は見物。

 収入の道を断たれ遊んでばかりもいられなくなった司葉子がひさしぶりに白川由美を訪ねると、彼女は司が断わった見合いの相手と結婚してアメリカへ行くのだという。幼馴染みとの平凡な暮らしも悪くない、と明るく答える白川由美の言葉に人各々の人生の在り方を思う司葉子。木賃宿で母子ともども再出発を誓って、司葉子は芸者になる決心をする。初めてのお座敷の夜、三橋達也のことが忘れられない山田五十鈴は、彼の後を追って家出をする。

 お茶屋で遊ぶ客の志村喬や村上冬樹がいかにも「遊び馴れた大人」を演じている。昨今のバブルおやじのような下卑た感じがなくて、これぞ「年期の入った遊び人」という風情があっていい。本来のお茶屋とはこういう人達が通う場所だったのだなと、色々と勉強になるわけだな、映画ってのは。

 どこからどこまでが二人の監督の守備範囲だったのかは分からないんだけれど、活発な若い芸者達の物語の部分が川島雄三で、山田五十鈴の周辺は成瀬監督?って感じだった。が、実は逆なんだな、これが。だからちょっと散漫で平べったいデキになってしまったのが残念。

1996年11月14日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16