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娘 妻 母


■公開:1960年

■制作:東宝

■監督:成瀬巳喜男

■助監:

■脚本:

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:原節子

■寸評:デコちゃん、そんな甲斐性なしの亭主なんかほっとけ!


 、、、と言っても無理だよなあ、亭主が森雅之だもんなー。

 山の手の中流家庭の長女・原節子は、資産家と結婚していたが離婚し多額の慰謝料を手にする。実家に戻った原節子を母親・三益愛子は優しく迎える。長男夫婦(森雅之高峰秀子)は友人の事業に投資していたがこれが失敗して返済を延滞されて困っている。妹も恋人と新しい仕事を始めるために資金が必要で、、。家族全員から「狙われる」ハメになった原節子は山梨の産業試験場の技術者・仲代達矢とくっつきかけるが、年齢差とかバツイチだという経験を気にして結局は別れてしまうのだった。

 私が見てきた原節子はいつも、気立ての良い誠実な女性であったり芯の強い進歩派だったりしていて、いずれにしても浮世離れしたところがあった。この作品では、離婚して表面上はサバサバした様子なのだが根掘り葉掘り聞かれると、なんとなく鬱陶しそうな顔をし、あからさまに慰謝料を狙っていると分かった相手にムッとしたりという、人間臭い表情が多く見られてなんだかとても身近かな存在に映った。

 森雅之はなんとか原節子から金を引き出そうと、そんなに露骨な手段ではないが、色々とアプローチを試みる。新しい男とくっつけてしまえば良いのでは?と考えたがこれも結局、失敗に終わる。

 森雅之はインテリジェンス溢れる風貌と演技が身上であるのだが、このような世俗的な市井の人物を演じさせても全然平気というすごい人だ。普通の役者ならどちらか一方が「キッチュ」な風情を漂わすものだが、森雅之の場合はどっちも違和感がない。こういう守備範囲が広くてしかもレベルが高い俳優というのは、どちらかというとワンパターン演技を奨励する日本では希有な存在である。

 母親の三益愛子が子供達の窮状を救おうと気を揉むが、なにもできない切なさをにじませる。穏やかな山の手の平均的な家族に起こる、さざ波のようなドラマ。細かいところを見ていればそれなりに暖かみがあるのだが全体的に平板な感じがして、途中でやたらに眠くなってとても困った(とうとう10分くらい細切れに睡眠をとってしまった)。

 この映画で秀逸なのは原の実家の裏口である。下水がつまったらしく棒で掻き出す森雅之の背後にある、埃にまみれた板切れや大きなザル、竹ほうきなどが事細かに並べられている風景はなんだか無性に懐かしい。

 これは後に「静かな生活」(伊丹十三・監督)に流用されるシーンである。下水が詰まったら一家の長の出番なのだ!

 成瀬監督のセットはいつもこのように繊細でリアル、なのに妙に作り物感覚があって印象に残る。成瀬監督の作品はいつも「女性が作ったのでは?」と思えるくらいの気配りがセットや役者のしぐさに行き届いており、それらが総合的に人生の「喜怒哀楽」を「演じて」いる。そこんところにファンが多いんだろうな、と思う。

1996年11月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16