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不滅の熱球


■公開:1955年

■制作:東宝

■監督:鈴木英夫

■助監:

■脚本:菊島隆三

■撮影:

■音楽:

■美術:

■特撮:

■主演:池部良

■寸評:池部良は野球は下手だが軍事教練は上手。


 本作品の池部良は一応、役者らしい起用さで上手に野球をしているように見えるが、凡ゴロの処理を見た瞬間、こりゃダメだ、と思った。

 事実、実物の池部良は野球を全然やったことがなく、野球好きの鈴木監督に連れられて見に行った野球の試合で「打った後で三塁に走ったほうが二塁を回らないですぐ点が入るのになぜみんな一塁へ走るのか?」と大声で質問し、まわりの観客に爆笑されたと鈴木監督のインタビュー誌に掲載されていた。

 モウッ!良ちゃんたら、だめねー(でもファンだから許す)。

 プロ野球の黎明期、かのベーブルースを三振にした逸話を持つ、名投手・沢村栄治・池部良の物語。昭和12年、沢村は巨人軍のエースとして活躍していた。巨人軍の試合を毎度見に来る美人・司葉子と仲良くなったのも束の間、彼は応召される。大陸での戦闘中に利き手を負傷した沢村は、司葉子とも離れ離れになり、二年半の従軍後、復員した後は極度のスランプに見舞われる。だが再会した司葉子と結婚し彼女の妊娠を知ってからは俄然、調子がよくなる。すでに太平洋戦争が勃発していた昭和19年、彼の元に二度目の召集礼状が届いた。

 私は沢村投手がフィリピンで戦死したことは知っていたが、二度も召集されたことは知らなかった。思えば実際の沢村投手の良く知られている姿は片足をピンと延ばした独特の投球モーションの「写真(静止画)」だけで、動いている姿(動画)は余り記憶にない。この作品には当時、沢村選手と一緒にプレーしていた川上哲治や御薗生、内堀らが「技術指導」にあたっているから、池部良の「沢村投手」はかなり正確なレプリカであると思われる。それだけでも十分貴重な作品だ。

 池部良は沢村投手の独特のフォームを上手にコピーしてなかなか立派な投球を見せる。もちろんどの程度「似ているのか」は分からないが少なくとも多くの「沢村を知らない」人達がイメージする姿に近かったと思う。ただし、時折見せる守備については全然下手くそだったのがちょっと残念。でも入隊後の軍事教練のシーンでは池部良が一番うまかった。

 司と初デートしているのは背景に見える聖路加国際病院と本願寺の丸屋根から判断して東京の築地のあたりらしい。勝どき橋の下を遊覧船で通ったりする。そこへ満州事変の勃発を知らせる号外売りが通り、二人の暗澹たる未来を予感させる。

 ほとんど史実に基づいたエピソードの中で、フィリピンでの激戦の末、死んでしまう部分だけは完全にフィクションである。タアタアタア、、という機銃の音がスタジアムの歓声にシンクロして、死に行く沢村を包む。息絶えた彼のからだからユニフォーム姿の沢村がするりと抜け出して、落成なったばかりの無人の後楽園球場のマウンド上に現われる、「生きて居た頃」と同じ様な爽やかな笑顔で投球モーションに入るラストシーン。

 彼の姿(幻)を見ていたのは生まれたばかりの子供を抱いた司葉子だけだった。この映画の制作に参加した人々は「もう一度だけ沢村をマウンドに立たせてやりたかった」という思いをどうしても果たしたかったのであろう。

 沢村投手は実在の人物。それに制作当時は技術指導に当たった選手達を含め、沢村の生前の姿をよく見知っている人達がたくさんいたはずだ。彼等はどんな思いで「池部・沢村」を見て(作って)いたのだろうか。軍隊経験のある池部良、野球好きの鈴木監督をはじめ、みんなの心には全ての戦争で「夭折した才能ある若者」への鎮魂が宿っていたに違いない。これは日本の「フィールドオブドリームス」なのである。

1996年10月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16