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肉弾


■公開:1968年

■制作:ATG

■監督:岡本喜八

■助監:

■脚本:岡本喜八

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:寺田農

■寸評:


 監督は最も優れた演技者である。じゃなんで映画に出ないのかと言うとほとんどすべての場合、ビジュアルが伴わないからだ。本作品の寺田濃はまさにビジュアル的にドンピシャな監督の分身、というかコピー君だ。その証拠に鼻の頭が黒い、らしい(嘘)。

 主人公は「あいつ」・寺田濃、名前はない。「あいつ」は瓶底眼鏡の痩せっぽちインテリ学生。毎日手榴弾を抱いて上陸してきた戦車に特攻かけるべく砂浜に掘ったタコツボで訓練を受けている。

 出征の日、父親・天本英世は日露戦争のくたびれた拳銃を渡して「お国のために死ね」と言って送り出してくれたが、「あいつ」はいったい何のために死んだらいいのかイマイチ理解できず、腹を減らして「牛の反芻(いっぺん食べた胃の内容物を口のなかに戻してもう一度あじわう、、、ゲーッ)」を体得したり、素裸で突撃訓練させられ同僚から「、、デッカイな」と尊敬(?)されたりしていた。

 沖縄に米軍が上陸してきたというニュースを聞いた「食堂のおばさん」が「おへそまで見られちまったみてえで恥ずかしい」と、その拳銃で自殺しようとしたらバラバラになって壊れてしまった。「あいつ」はその拳銃を「日本と日本人」の象徴だと思った。日露戦争で最後に華やかな勝利を飾った日本と日本人はもうくたびれ果てていたのだ。

 いよいよ敵軍上陸と思われる前日、外出を許された「あいつ」は爆撃で両手を失った古本屋の親父・笠智衆から「美しい、観音様みたいな女房・北林谷栄との出会い」を聞いて感激する。「あいつ」は女郎屋で美しい少女「うさぎ」・大谷直子と出会う。「あいつ」は「うさぎ」と結ばれた。「あいつ」はやっと「これで何のために自分が死ぬのか」分かった!と叫ぶのだった。

 「うさぎ」の住んでいた町に空襲があり、彼女は溶けて死んでしまった。タコツボ作戦は変更され「あいつ」は魚雷にくくりつけられたドラム缶に入って敵艦隊の上陸に備えることになった。太陽がさんさんと照りつける中で、いつ来るか分からない「艦隊」を迎かえ撃つべく「あいつ」は沖へ出て行く。やっと発見した敵の「船影」めがけて魚雷発射!と思ったらブクブクと沈んでしまう。

 敵艦と思ったのは実は東京湾に糞尿を投棄するための「おわい船」であった。「船長」・伊藤雄之助が「あいつ」を発見する。「戦争、おわっちゃったんですよ」と言う「船長」に頼んで陸まで引いてもらう途中、ドラム缶のロープが切れてしまう。

 場面が変わって昭和43年(現代)、そこは若者たちが楽しげに遊んでいる海岸だ。モーターボートが奇妙なドラム缶を発見する。そこに「あいつ」はいた。白骨化した「あいつ」はまだ叫び続けている。「バカヤロー、うさぎのバカヤロー、戦争が終わったんだって?バカヤロー」と。

 戦争で死んだ「あいつ(ら)」を俺(岡本喜八監督)は絶対に忘れないぞ!という熱いメッセージがこめられた作品。本屋の親父が笠智衆。笠は「あいつ(寺田農)」に「死んじゃ駄目だよ、兵隊さん。死んじゃっちゃあなにもかにもおしまいだ」と言う。これが「行き残ってしまった者」の素直な心情なのだろうな、と思った。

1996年10月19日

【追記】

笠智衆は撮影の合間に猥談をしてくれるそうで「戦地から戻ってきたら台所にいた奥さんがあまりにもかわいかったのでイッパツやってしまいました」とのこと。なんだ、台詞(つくりごと)じゃなかったのか・・・。

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16