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透明人間と蠅男 |
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■公開:1957年 ■制作:大映 ■監督:村山三男 ■助監: ■脚本:高岩肇 ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:品川隆二 ■寸評: |
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中条静夫と言えばNHK朝のテレビ小説「雲のじゅうたん」に出る前までは脇役専門、と言うか一生通行人なんじゃないかと思ってたが、長生きはするもんですね。 完全な密室の飛行機のトイレで男が殺害される。その後も次々と殺人事件が起きるが真昼の街頭で殺害されたにもかかわらず犯人を目撃したものが誰もいない。現場に居合わせた刑事は、被害者が最期に虫を追い払うようなしぐさをしたのを不思議に思った。 太平洋戦争の末期、南方で戦場に取り残され一人戦犯として重労働に耐えた男が、戦後は実業家となり、かの地で「人間を蠅のように小さくする薬」を発見したのでそれを使って当時の関係者に復讐をしていたという話。 この薬には麻薬のような作用があり男は手下をこの作用の虜にして殺人鬼に仕立てていた。体が小さくなるだけではなく飛行能力までオプションについているという設定なのだが、小型化した体のどこにも「羽」らしきものは見当たらない。にもかかわらず「昆虫の羽音(ブ〜ン)」という音が現場に残るというのがちょっと不思議だ。 対する「透明人間」は宇宙線を研究していた過程で偶然に発見されたもの。人間を透明にするのではなく「不可視にする」というのがミソ。したがってその「光線」をあびると着衣まで「見えなく」なるわけだ。ただし常に紫外線にあたっている「顔と手」だけは透明にならない。空中に浮かぶ「生首」と「手のひら」がかなり不気味だが理屈はちゃんとしている。 蠅男ったって姿形が蠅になるわけではない、どっちかっつうと「一寸法師」だといえよう。人間の姿のまんま(しかも着衣込みで)小さくなったその姿で、まるで「森永製菓のエンゼルちゃん」のようなポーズで(ピアノ線に吊されて)飛行する。 イイ歳したオヤジがゆらゆら飛ぶシーンはかなり恥ずかしいが、先述したとおり「麻薬」的な作用のため蠅男・中条静夫は変身する度に「ラリって」しまうので平気なのだろう。 いくら小型化してターゲットに接近してもいざ殺るときは「原寸大」に戻らねばならない。で、その時手にしている「ナイフ」まで一緒に縮んだのか?なんで洋服が縮むわけ?やっぱ素っ裸にならないと理屈があわないんじゃないのか?え?どうなの、、、等々、実にツッコミどころは満載であるが、凶器が刃物であるため残忍なイメージの方が強くて笑えない、別に笑わなくてもイイんですけどね。 蠅男は国電を吹き飛ばすパフォーマンスで帝都を恐怖のどん底に叩き込む。そんな小さな体でどうやって?電車が派手に破壊されるシーンの特撮はなかなか見応えがあるのだがどうせなら「小型化したメリット」を生かした「脅迫方法」を披露してほしかったなあ。パニックに陥った群衆がオロオロする姿を街頭スピーカーの上から蠅男が見ているシーンは、オッと唸るほどよくできているんだから。 最期は透明光線を開発した科学者・品川隆二と恩師の娘・叶順子が自ら進んで透明人間となり、蠅男に殺害された同僚と父親の仇を討ってメデタシとなる。透明光線の存在を公表した二人が新聞記者の目前で「消えて」みせ、お掘り端で姿を現わして仲睦まじく歩いていくラストシーンの異様な明るさがやけに唐突。 主人公の科学者が品川隆二。現在30歳代後半以上の人で、この人を見ていて「焼津の半次」を思い出さない者がいたとしたらそれは「帰国子女」か家に「テレビがなかった」人である。 昔は二枚目だったんですね、この人は。どちらかというとヤサ男タイプの。それが後に蜘蛛を見ては奇声を上げたり、機関銃のような台詞回しで近衛十四郎と壮絶な罵りあいを演じるトボけた旅人になろうとは、だれも想像できなかったことだろう。テレビの「刷り込み」イメージというのもまた恐ろしいなあとそんなことばっか考えて見てました。 (1996年10月19日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16