西鶴一代女 |
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■公開:1952年 ■制作:新東宝 ■監督:溝口健二 ■助監: ■脚本:依田義賢 ■撮影: ■音楽: ■美術: ■主演:田中絹代 ■寸評:母は強し、女は怖し、そして哀し。 |
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田中絹代と溝口健二の関係は「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」(1975・監督・新藤兼人)に詳しい。 年増夜鷹・田中絹代がさるお堂に立ち並ぶ「羅漢像」を見つめている。そのさまざまな顔の中に彼女は昔の恋人・三船敏郎の姿を見つけるのだった。彼女は元御殿女中だったが、若侍の三船敏郎と恋仲になってしまう。それが発覚したために三船は責任をとらされ彼女は追放される。 これが田中絹代の人生のケチのつけ始めで、その後は結婚してみたり女中奉公に上がったりするが行く先々で次々と不幸な出来事に見舞われ、まるで「家なき子」のような流転の人生を送る。その美しい容姿故に松平家の側室となり、跡継ぎとなる男子を出産するがここでも正室から「出自ばらし」による追い出し作戦を受け、体よく実家へ帰される。 商家の女中として地道な人生を歩み出せたと思ったらそこの女将が「ハゲ」であった事実を知ってしまったが故に、嫉妬に狂った女将に髪の毛を掴まれて引きずり回された挙句に追い出されてしまうのだった。このように、男共の性のハケ口のような扱いには懸命に耐えたがやはり女の嫉妬というのはキツイもので、田中絹代の人生を木っ端微塵にしたのは男の性欲でも、封建主義的な世相でもなくむしろ、女の妄執であったと言えるだろう。 やがて田中絹代の子供が家督を継ぐことになった。松平家から呼び出しを受ける田中絹代。かつて自分を追い出した連中の前に鎮座した田中の視線が鋭い。 官僚主義の家老共は夜鷹になった母親との親子の直接対面を許さず「庭の敷石に座っていれば廊下を歩く姿だけは拝ませてあげるよ」と言う。家来に囲まれ眼前を過ぎ去るわが子に目を奪われた田中が思わず立ち上がりその後を追う。「なにすんだ、ババア!」と色めき立つ家来に向かって「私はあの子の母親です!」と言い放つ田中絹代の貫祿に思わずたじろぐ侍達。 母は強し、である。 わが子の立派な成長ぶりを目にし、松平の家を去った田中絹代は遊女からも足を洗って尼となり、自分が生涯で最も愛し(愛された)三船の供養をすべく旅に出るシーンが印象深い。愛に生きたが故にドロップアウトした彼女の生涯は苛烈でもあるがその清廉な生き方に魂の浄化を感じさせもする。 (1996年10月16日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16