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ガス人間第一号


■公開:1960年

■制作:東宝

■制作:田中友幸

■監督:本多猪四郎

■特撮:円谷英二

■脚本:木村武

■撮影:小泉一

■音楽:宮内国郎

■美術:清水喜代志

■主演:三橋達也

■トピックス:

ネタバレあります。


  凡庸な図書館の司書が、発明家にスカウトされて人体実験に応じたが、結果的に彼はガスのような体に変質してしまうようになる。絶望しかかった彼は、貧乏な日本舞踊の美人家元に純愛を捧げることにする。彼は家元に貢ぐためにせっせとガス化できる能力を使って銀行強盗を働く。

 アイドルの「おっかけ」をする金ほしさに自販機荒してるようなものだと思えばいいか。本人にとっては動機は純粋なんだけど手段が問題なのねこの場合。

 ガス人間・土屋嘉男になってしまった彼は司書の給料だけではとても家元・八千草薫に立派な発表会を開かせてやれないと悩んだ挙句、精神集中することで体のガス化をコントロールできる事に気が付く。根が真面目な男であるから始末が悪い。たぶんあまり女性にモテたことがない人生だったろうから、思い込んだら命懸けの「恋は盲目」状態なのだった。

 シュルシュルと風船から空気が抜けるように洋服だけを残して去るガス人間。金庫の前で刑事・三橋達也に追い詰められるが彼等の目の前でガス化してトンズラする。撃たれても全然平気だ。

 ガス人間との仲が噂される八千草の発表会に殺到した群衆が「ガス人間を出せ!」等々の口汚い野次を飛ばす。

 「僕のマドンナ」を汚された事に怒ったガス人間は観衆の前に正体を現わして観客達を恐怖のどん底へ追い込む。警官隊が取り囲んだ劇場の客席にはガス人間がたった一人で八千草薫の舞いと左卜全の鼓を鑑賞している。このへんのシュールな雰囲気がこの「悲恋」の壮絶な幕切れの序章となる。

 舞台の上の八千草はその発表会の会場がガス人間の墓場になることを知っていながら最後までそれを彼には明かさない。警察の作戦とは無味無臭のガスを劇場に充満させてガス人間もろとも爆破するというもの。感極まったガス人間と抱きあう八千草薫の手に握られたライター。火はたちまち引火して劇場内は紅蓮の炎に包まれる。美しい顔に決意を秘めた八千草薫の表情が直後の破壊シーンを印象深いものにした。

 かなり純粋な特撮スリラーの「液体人間」の意欲的な内容と、カルト・アクションに振った「電送人間」を経て、一応「変身人間」シリーズの大団円としての本作品。前2作品では主人公(変身人間)が失恋という結果であるが、本作品では心中という形で成就する。そこいらへんが、情緒性を求めるファンには好評なのだろう。

 変身人間と美女のラブストーリーが主で、特撮技術やスリラー味は従となっている点が本作品の主張だ。ラストシーンで丸焦げになったガス人間(肉体は消滅している)がズルズルと劇場から這い出してきて入り口の花輪の下で息絶えるという演出にも味わい深いものがある。特撮は怪獣と天変地異だけじゃなくてこのような大人のメルヘンをも彩ることができることを実証した。

 ちなみに、液体人間、電送人間、ガス人間、三大変身人間に殺されたのは田島義文、溶解→刺殺→窒息死の順。そして、刑事→刑事→変身人間という順に出世(か?)したのが土屋嘉男。

1996年10月22日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17