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われ一粒の麦なれど


■公開:1964年

■制作:東宝

■監督:松山善三

■助監:

■脚本:松山善三

■撮影:

■音楽:

■美術:

■主演:小林桂樹

■寸評:主役のモデルは元NHK労組の親玉・上田哲(本人談)


 本作品の主人公のモデルになった上田哲はかつて「上田ファッショ」と呼ばれた恐怖政治でNHK労組に君臨していた人物だが、実物はきわめて温厚そうな外見である。そのバックボーンを意識してみていればいくら善人面の小林桂樹が演ってても、行動の一々に説得力が感じ取れよう(たぶん、ね)。

 小役人・小林桂樹は一本の間違い電話を受ける。それはポリオ(小児マヒ)の子をもつ母親・市原悦子の切羽詰まった訴えだった。この日から、平々凡々たる彼の人生がガラリと変わる。ポリオ撲滅運動の先頭に立った小林。服作用が心配されていた生ワクチンの「人体実験」を女医・高峰秀子に迫る。ある日、小林は座敷牢のようなところに閉じ込められているポリオ患者・大辻司郎に出会う。

 ハンディキャッパーの不幸は身体が不自由であるという物理的なものと、容姿が不気味に映ることによる精神的な重圧だと思う。人間が初対面の異形なモノに対して抱く警戒心というのは本能的なものだ。多くの映画はハンディキャッパーを「容姿の美しい役者」に演じさせてきた。同情を誘うためか?それとも「抗議」を恐れてのことか?ところがこの作品では、コワモテの大辻司郎が圧倒的な不気味さで登場する。その余りの迫力に小林桂樹もたじろぐほどだ。まるっきりバケモノあつかいなのである。

 「あなたにボク達を救うことなんかできない」と全身を震わせて訴える大辻の尋常でない熱演がこの映画の全てだ。小林は車椅子の大辻司郎とともに養護施設を訪れる。ボール遊びに興じる友達を松葉づえの少女が見つめている。と、二人の眼前でその子は転んでしまう。とっさに助けようとした小林に「自分の力で立たせなさい」と叫ぶ大辻司郎。

 「あなた(小林桂樹)はキチガイだ。キチガイでなければできないんだ。」という大辻の言葉に俄然、奮い立った小林桂樹。交差点で車椅子の後を押す青年に「おまえもキチガイの素質あるぞ!」と小林は言う。

 最初は「偽善的」「おしつけがましい」と映った映画が大辻司郎の熱演で、グイグイ引き込まれた。高峰秀子に「大勢の命を救うために一人の犠牲はしかたないんだ!」と叫ぶ小林桂樹は強烈。結局実験は成功するが、あまりにも突飛な行動をしたために小林桂樹は田舎へ左遷されるのだった。

 「われ一粒の麦なれど」というの「踏まれても蹴られてもヘコタレない」主人公の狂信的な「情熱」をさすのだろう。

 しかしだなー「一人の犠牲はやむを得ない」ってそれが自分や身内だったらそんな言葉、吐けたのかなあ。後で冷静になってみるとやっぱり納得できないものが残った。

1996年10月22日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16