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恍惚の人


■公開:1973年
■制作:芸苑社
■製作:
■監督:豊田四郎
■助監:
■原作:有吉佐和子
■脚本:松山善三
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:森繁久彌
■寸評:


 森繁久弥のアレは芝居ではなかったのか? 

 茂造・森繁久弥は84歳になった。息子一家と同居しているがどうも最近、挙動がおかしい。医者によると彼は「老人性鬱病」と診断される。茂造のボケは日々進行していく。息子・田村高広を泥棒に間違えたり、自分の排泄物を手にとってぶちまけたりする始末。介護する嫁・高峰秀子は神経をすり減らしていく。徘徊もひどくなり茂造は雨の中迷子になって、肺炎を起こしてしまう。嫁を自分の娘と勘違いして、散々甘えて、茂造はだんだん子供のようになっていく。ある日、茂造は風呂場で入浴中に溺れて死んでしまう。

 「あきこさん」(嫁の名前)と弱々しく呼ぶ森繁久弥の声がしばらくの間、耳について離れなかった。今では本当にボケちゃったんじゃないかと思われる森繁久彌だが、モノクロームの画面で、完全に目がイッちゃってる茂造の芝居はとにかく見事すぎる。史上最高の「惚け老人演技(当時)」だと言えよう。

 「老人介護」とか「呆け」とかいう言葉がまだ深刻な受け止められ方をしていなかった当時。将来の高齢化社会を予測した「三婆」とともに、有吉佐和子が記したベストセラーの映画化。

 自分の親でもないのに、生活のすべてを犠牲にして義父に尽くす高峰秀子。「独身時代の生活水準を落としたくない」とか「個人の生活を尊重する家庭」が至極当然の現代の嫁(嫁ってえ概念もそのうち消失するかもね)事情。理解し難いくらいの献身的介護ぶりは、単純にインフラが整備されていなかった当時の状況だけに起因するものではあるまい。自分もいつか茂造の立場になるかもしれないという恐怖。それは現代でも変わらないはずだ。

 しかし小学生が見るにはヘヴィーな映画だった。特に茂造が自分の排泄物(固形のほう)をこねくり回して部屋の壁や襖に塗るところなんか。モノクロだからまだ、見られたけれど、あれがカラーだったら、、。自分の親がああなったらどうしよう、とか自分がそうなったら、、呆けてんだからイイのか、、なんて頭がパニック起こしそうだった。

 今、リアルタイムの森繁久弥を見ているとこの映画がリアルすぎて直視できないかもしれない。あまりにも先見の明がありすぎた作品だ。

1996年09月09日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16