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野盗風の中を走る


■公開:1961年
■制作:東宝
■製作:田中友幸
■監督:稲垣浩
■助監:
■原作:真山美保
■脚色:稲垣浩、井手雅人
■撮影:山田一夫
■音楽:石井歓
■美術:植田寛
■主演:夏木陽介
■寸評:朗らかな娯楽時代劇


 戦国時代、太郎・夏木陽介を首領とし、向坂衆と名乗る野盗の一団がいます。はやて・佐藤允、源・市川染五郎(現・松本幸四郎)、弥助・中村萬之助(現・中村吉衛門、当時は高校生)、ナガ耳・多々良純、兵六・中丸忠雄、太十・谷晃、孫市・田島義文、武吉・大木庄司ら総勢11名は、かつては豊かな里だった山間の集落に辿り着きますが、そこは長年の戦乱で荒れ果てていました。

 太郎の発案で源を先君、尼子一族の忘れ形見に仕立てた一行は、山城の増築のために借り出された村の若い衆を救出し、村人に多いに慕われますが、明智義輝・市川中車の命令により野盗たちは討伐の対象になります。彼らを助けようとした田坂将監・松本幸四郎は殺されてしまい、村人たちはなんとか太郎たちを助けようとしますが、立てこもった寺の周囲は明智の軍勢に囲まれてしまいます。

 当時の東宝の中堅若手俳優がごっそり出てきます。青春TVスタアの夏木陽介にとって、あまりぱっとしなかった映画のキャリアにおいては代表作と言えるのではないでしょうか。また、いつもはどちらかと言うと、尊大なイメージの(ってこの頃はそうでもないですが)中丸忠雄が谷晃と凸凹コンビで、猫の雑炊を見てゲロ吐いたり、子供を助けるために悪戦苦闘したり子守りしたりするんでファンはさぞやその変貌ぶりに驚くことでしょう。おまけにロケ中は男子校の合宿状態で毎晩、ベロベロになるまで酒飲んでるもんだから馬に乗っててもバカすか落馬したというエピソードを聞くにおよび、その映画のワンシーンごとの奥行きがある意味ぐんと増すというものです。

 野党と百姓、その2つの共通点だけで黒澤明の「七人の侍」と比較されてしまう予感がしますが、こちらは野党が百姓の結果的に味方。太郎は勘兵衛のようなカリスマ的なリーダーではありませんし、一応従ってはいますがメンバーの目的はバラバラで、野盗をしているのはあくまでも手段であって目的ではありません。

 彼らは欲望のために徒党を組み、自分たちが生き残るために闘い、愛した人を守るために身体を投げ出します。ヒューマニズムを前面に押し出して奮闘し「勝ったのは百姓たちだ」とつぶやいて去っていくストイックな英雄ではありません。大衆の支持を得て心から愛されて死んでいく社会からドロップアウトした普通の人々です。ひょっとしたら頭も悪くて下手すりゃ最期の一斉射撃でも「死なない」と本当に信じてたんじゃないか?とすら思います。

 神がかったヒーローがダイナミックにアクションするのを黒澤明と三船敏郎のコンビネーションで見なれた観客にはどうしても、予定調和で段取りのできあがった個人芸の積み重ねや、キャメラのポジションが紙芝居のように固定的な稲垣監督の時代劇は古臭く見えてしまいます。

 それでもこの映画が好きだと思えるのは、登場人物たちの自由自在なポジションの移動と、若者(ってもよく見りゃ結構なおぢさんだけど)たちのそばにいていつも指針や励ましを送ってくれる人生経験の豊富な老人、ナガミミや住職・笠智衆の存在です。開放的でおおらかな人間関係が老人たちの知恵に支えられて人生を共有する、輝いた瞬間を持てたことに対する憧れだと思うのです。

 ラストシーンで唯一人、窮地を脱出しおそらくは実人生の成功を得た弥藤太が村を訪れたとき、誰一人として彼の存在を覚えていなかったのに、とうに死んだ仲間たちが未だに手厚く葬られていいるのを目の当たりにして愕然とします。演出に時代がかったところはありますが、暗さがないのを「深みが無い」というよりはその朗らかさと明るさを心行くまで味わいたい作品です。

1996年10月02日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16