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破戒


■公開:1962年
■制作:大映
■製作:
■監督:市川崑
■助監:
■脚本:和田夏十
■原作:
■撮影:宮川一夫
■音楽:
■美術:
■主演:市川雷蔵
■ワンポイント:藤村志保のデビュー作。


 一人の初老の男・浜村純がいきり立つ牛と対峙している。突進する牛、その角を腹に受け投げ飛ばされる男。男は死んだ。男は部落民であった。

 島崎藤村の原作による「破戒」。寒村の小学校教師の瀬川丑松・市川雷蔵は出身を隠していたが、父の埋葬を見送って列車に乗ったところを町の有力者・潮万太郎に目撃されてしまう。丑松の同僚・長門裕之はもちろん丑松の出自は知らない。長門は、部落民ではないかという噂が立った丑松を庇ってくれるのだが、丑松には余計に辛い。

 丑松の元に猪子連太郎・三国連太郎が訪ねてくる。出自をカミングアウトしている猪子の突然の訪問に愕然とし「あなたに手紙を出した覚えはない」と放心状態で告白する丑松。落胆する猪子の姿に責められているような気分になる丑松。猪子が暴漢に襲われ死ぬ。丑松は教え子達の前で、出自を告白し土下座をする。

 村を去る丑松を子供達と志保が追う。子供達にとってはやさしい先生だった丑松。父母の中にも気の毒に思ってゆで卵を包んで子供に持たせる者もいる。なにか記念にと丑松が差し出した辞書を大切そうに押しいただく子供達。志保との将来を誓って丑松の荷車が村を離れる。

 私たちが最も感情移入しやすいのは、丑松の出自を知らされて、今までの無神経(だと本人は思っている)な発言を誠意をもって詫び、雷蔵を支えてくれる長門裕之であろう。雷蔵が教室で生徒達に土下座しなければならない環境、雷蔵に「出自ばらし」で圧力をかけた潮万太郎の妻もまた「部落民」であったという事実。映画は淡々と時には冷酷な、原作批判では?と思えるような視線で丑松の「悲劇」を描く。

 市川雷蔵は「炎上」でもそうだったのだが、このように生まれながらの「苦悩」を抱えた人物像を驚くほど凄烈な情念を以って演じた人。猪子の死を知った丑松が枕辺に未亡人を見舞い、何か心に秘めて虚空を見つめる。

 その時の丑松=雷蔵の体から流れ出る「空気」に身の毛がよだつほどの迫力がある。教室で生徒に詫びるとき、雷蔵は普段聞かせるような音吐朗朗たる台詞回しを抑制し、思いの丈を切々と見せる。

 深遠な感情が膨らんで、次第に高揚し、はらはらと落涙して最後は、騒ぎを聞いて駆けつけた長門裕之に抱き抱えられて教室を去るに至る場面。見ている私たちの胸もまた、丑松の感情の吐露に張り裂けてしまう。

1996年09月30日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16