「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


漂流


■公開:1981年
■制作:東京映画、東宝
■製作:
■監督:森谷司郎
■助監:
■脚本:森谷司郎広沢栄
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:北大路欣也
■ワンポイント:カツオ鳥の受難。


 本当にヤバイんじゃないの?あのシーン。

 江戸時代、漁船が難破して南鳥島に漂着する。一行はその島が草木も生えない無人島であることを知り愕然とする。主人公達は島に営巣しに来るカツオ鳥の大群を唯一の食料として生き延びる。だが、救助の船は来ない。一人また一人と死んでいく。

 とうとう主人公、たった一人になった。気の狂いそうな孤独地獄の中で彼は母の言い残した「一人で生きよ!」 という言葉を信じて生き抜く。カツオ鳥を捕えて干肉を作り、卵の殻に雨水をためて彼は生きる。ある日、一艘の船が漂着する。久々に見る人間に狂喜する主人公。彼等の船を修理して、主人公が島を脱出し故郷へ戻ったのは、島にたどり着いてから実に13年後のことであった。

 「申し訳ありません(バコン!)もう一生鳥は食いません(バコン!)」文中の()は、漂着した主人公達が抱卵して身動きできないでいるカツオ鳥の頭を棒っきれでヒットした生音である。彼等は食料を求めてやっているわけだが、映画なんだから作り物を使えばいいのに、なんと「マジ」で野生のカツオ鳥を叩き殺しているのである。「木靴の樹」でも百姓がアヒルの生首をブッた切るシーンがあるが、あっちは家畜だけど、こっちは保護動物。さすがリアリズムの申し子・森谷司郎、手抜きはないぜ。

 一行は若い船乗り・北大路欣也、後から漂着したガラの悪い船乗り・渡瀬恒彦、北大路の父・坂上二郎、おとなしい仲間・水島涼太ら。北大路の母親が三田佳子(回想)である。後から漂流してくる漁師の一行のリーダー・岸田森。映画の中盤から後半にかけては北大路(とカツオ鳥の大群)のほぼ一人芝居。

 最初は「すぐに仲間が迎えに来るだろう」とのんきに構えていたが、島の一角に洞穴があって中に、人間が生活した後を発見し、しかも先客はすでに全滅していたことが判明して、彼等は絶望する。激しい天候、日照り、大自然の真っただ中に放り出されて、次第に弱っていく人間達。

 せっかく修理した自分達の船は、渡瀬恒彦の命を奪っただけで、嵐の中こっぱ微塵に破壊されてしまう。幸い温暖な気候ではあったが、島に飛来して去っていくカツオ鳥を見ていた主人公は、鳥の羽を集めて「翼」を作る。彼等のように飛べたら、故郷へ帰れるのだ、愛しい恋人にも会える。崖の上から助走をつけて、一気に、飛ぶ!かとおもったら、やっぱり怖くなって引き返す。結局は飛ぶのだが、骨太な作品にちらりとのぞく、茶目っ気。このあたりが師匠の黒澤譲りか。

 この作品の主役はとにかく圧倒的な自然である。制作進行に期限なし、という神をも恐れぬ「太っ腹」。黒澤明の愛弟子・森谷司郎は期待に応えて長期ロケーションを敢行、制作費も青天井。根が貧乏症の舛田利雄あたりだと、もらいつけていない大金に目が眩んで、とんちんかんな事をやらかしただろうが、親の背中を見て育った森谷は金額分の仕事を十分に見せてくれた。

 「八甲田山」「動乱」で映画界の植村直巳と呼ばれるほど、過酷な自然描写で評価を得た森谷司郎。この作品も、北大路欣也のエネルギッシュな演技と、大自然の荘厳な映像で「ガイヤシンフォニー」のようなネイチャー・オペラになったが、時代が早すぎたのか見事にコケた。

 あまりテレビでも放送されないようだが、やはり「いきもの地球紀行」全盛の現代では「カツオ鳥生殺傷シーン」はあまりにヤバイのかも。

1996年09月18日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16