他人の顔 |
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■公開:1966年 |
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仲代達矢と平幹二郎はともに俳優座の先輩(仲代達矢・四期)、後輩(平幹二郎・五期)である。 プラントでの実験中にあやまって事故に遭い顔に大火傷を負った男・仲代達矢。始終、顔に包帯を巻いていなければならない生活が彼の神経を昂らせ、妻・京マチ子や秘書・村松英子の些細な行動にも過剰な反応を示すようになる。ある日彼は、暗がりで妻に迫ったところを拒絶される。いい知れぬ孤独感に苛まれた彼の心の中に小さな陰謀が生まれる。担当医の平幹二郎に、元の顔とは同一視されないようなマスクを作ってくれるように依頼する仲代。 仲代の「異常な要求」に最初は拒絶する平であったが「他人の顔」をまとった二重生活という興味深い実験に、好奇心を刺激されついに同意する。彼は密かにアパートを借り、マスクをつけて全く別人としての人生を獲得するのだった。そして次に彼が思いついたのが、別人として妻を誘惑することだった。 冒頭、医学用の義手や義肢の模型がドーンとアップになる悪趣味な画面に、包帯で「助清」(「犬神家の一族」参照)状態になった仲代(とは断定できないけれど)の顔が映る。マスクを装着した後の顔で初めてスクリーンに仲代達矢の素顔が晒されるまでは、延々と包帯顔のまんま。それでも喋り方とか、ちょっと猫背ぎみの立ち居ふるまいで「仲代」しているところがさすがだ。 いきなり包帯だらけの男が眼前に現われたら、それこそ「ミイラ男」か「透明人間」に違いないと私なんか思うのだけど、この作品の中で仲代に面と向かって奇異な視線を向けるのは、アパートの管理人の千秋実くらいなものだ。千秋実の娘が「おばさん顔」少女・市原悦子で、ヨーヨーに異常な執着を抱いている。彼女は少々オツムが弱いので、突如現われたミイラ男を見ても全然驚かない。この映画がとても「不条理」な感じがするのは、ここに原因があるようだ。 同僚や近親者としては、あからさまな視線や態度は失礼だということで、あえてしないのだろうが、どっこい世間はそうはいかない。あの格好で電車に乗れるのか?タクシーが止まってくれるのか?子供なんか「ゲッ気持ちわりい」とか叫んで石の一つも投げるだろう。とにかくそういう「普通の人」の「普通の反応」がほとんど描かれないのである。 「他人の顔」になった男は一切のしがらみから解放されて「自由」を手に入れる。彼は妻の京マチ子を誘惑し関係を結ぶ。仲代の心に巣くっていた女房に対するコンプレックスが消えかけた瞬間、実は京マチ子は最初から正体を見抜いていたことが分かる。夫の心が癒せるのならばと、屈辱的な「演技」に耐えた妻。彼は発作的に路上で女を犯す。「キチガイ」として警察に逮捕されようとする彼をもらい下げたのは医師の平だった。 「孤独だ」という仲代に「自由とは孤独なものだ」と言う平。「人は誰でも仮面をつけて生きている。その仮面が剥げるのか剥げないのかという違いだけだ」という平を仲代は殺害する。唐突に「仮面」の大群が彼等を押し包む。武満徹の音楽が、異次元世界へ誘うような、サイコ劇。平の殺害現場は、東京の青山にある「草月会館」のまん前なのであった。 (1996年10月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-08-17