黒蜥蜴 |
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■公開:1962年 |
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富豪の岩瀬・三島雅夫の一人娘を誘拐する、と怪盗「黒蜥蜴」から脅迫状が届く。雇われたのは「日本一」の名探偵(自称)明智小五郎・大木実。ホテルの一室から連れ去られた娘は明智の機転で、無事救出される。明智小五郎VS黒蜥蜴の、それは虚々実々の対決の始まり、、になるはずであった。 一度は逮捕されかかった黒蜥蜴の京マチ子だが、多人数の警官相手に拳銃一丁で悠々逃亡。お得意の変装でイキな紳士に化けた黒蜥蜴が、ビルの谷間で華麗なステップを踏んで、観客にカメラ目線で語りかける。「日本一の名探偵と黒蜥蜴の対決、これからがお楽しみ!」寝ぼけたこと言ってんじゃねえ!と叫ぶ間を与えず、再び奇妙なダンスを踊りながら去っていく黒蜥蜴。シ、シュールすぎる。 さて、自宅からソファーに詰め込まれて誘拐されたお嬢様。船で黒蜥蜴の博物館へ運ばれる。船旅の途中で功労のあった部下に「爬虫類」の称号(「青い亀」「黄色い鰐」等)と、宝石を分け与える黒蜥蜴。恭しくそれらを頂いた部下たちは、ここでも「ありがとう〜ございますぅ〜。私たちはあなたのためなら〜命かけますぅ〜」という調子っぱずれな歌を披露しながら、わけのわからないダンスを踊る。この組織では嬉しいことがあったら、とりあえず踊るという掟があるようだ。 とまあ、全編こんな調子である。すごいのは黒蜥蜴が孤島に作っている「博物館」。多様な人種の「剥製」を作りショーケースのように並べている。それ全部が半裸の東洋人。「なんて美しいのでしょう」と、黒蜥蜴が指差す先には、盆踊りのドッコラショのようなポーズをとった男女(の剥製)が銀ラメのパンツを履いて突っ立っているのである。こんなことなら、熱海の秘宝館のほうがまだましだ。 この映画には特撮シーンもある。伝説の宝石「エジプトの涙」を人質との交換条件として、黒蜥蜴が受け取るシーン。東京タワーの上空を飛行するヘリコプター。遠くを飛んでいるはずなのになぜかピントバシバシで、遠近感ゼロ。そりゃそうだ、ミニチュアをピアノ線で吊ってるだけだもの。おまけにそのミニチュア・ヘリのローターが妙にトロくて情けない。もうダサダサである。 誘拐されたお嬢様はじつは替え玉。そこへ本物のお嬢様が、やって来る。お嬢様は、なんのための替え玉作戦なのか全然理解しないうすらとんかちなので「私がピンピンしていて身代わりがかわいそうよ!」とかなんとか大声でくっちゃべりながら黒蜥蜴の洞窟へノコノコやって来て案の定、捕えられる。 最後は、めっかちでせむしの子分に化けていた明智小五郎に追い詰められた黒蜥蜴が、御自慢の指輪に仕込んでいた毒をあおって、死ぬ。実は明智と黒蜥蜴は惚れ合っていたというオチがつく。 野球のトリプルプレーというのは、余程の間抜けがいない限り成立しない、やられたほうは相当恥ずかしい状況である。この作品の物凄いところは、そういう「恥ずかしい」シーンが随所に、しかも強引にねじ込まれている点である。その多くのシーンでピエロになったのが、富豪の岩瀬・三島雅夫。「ワシの宝石だ〜」とか「娘を!娘をかえせ〜」と、異様なボルテージではしゃぎ回り、いつも黒蜥蜴の罠に積極的にハマりに行く。どうしようもなく迷惑な奴だが、こういうのがいないと物語が始まらないようになっているから始末が悪い。 岩瀬邸のバカ用心棒たちの自己紹介の歌(と踊り)、SMショーを彷彿とさせる悪趣味なタイトルバック、等々、できそこないのミュージカルもどきの演出と、へんてこな「黒蜥蜴の歌(作詞・三島由紀夫)」を繰り返し見せられたり聞かされたりしていると、まるで風変わりなリンチを受けているような気になってくる。見終わった後に、これほど「後悔」という心の痛みを観客に与える映画がほかにあるだろうか。いや!ない。そんなもの、あってたまるか。これは何かの間違いだよ、って言って欲しいぞ、新藤兼人(脚本)。 (1996年09月19日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-08-17