黒い画集 あるサラリーマンの証言 |
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■公開:1960年 |
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一つの嘘が次々に嘘を生む。そしてとどのつまりはドミノ倒しのように崩壊していく。ところで、最初の殺人事件「向島の若妻殺し」の犯人は誰だったのだろうか?たぶん中丸忠雄じゃないかと思うのだが、どう? 丸ノ内の中堅商事会社に勤務している安サラリーマン・小林桂樹は部下のタイピスト・原知佐子とは愛人関係。 彼の自宅は世田谷だがアフター5に立ち寄った彼女のアパートからの帰路、顔見知りの保険外交員・織田政雄と擦れ違い思わず会釈してしまう。 やがて織田が向島でサラリーマン・中丸忠雄の妻が殺害された容疑者として逮捕される。小林と「その時間」に「その場所」で織田が出会っていたとしたら犯行は不可能。小林は「彼とは会っていない」と偽証する。 本当のことを証言したとしたら、警察は黙っているだろうか?事件は「若妻殺し」としてマスコミにセンセーショナルに取り上げられている。好奇心の強い週刊誌が、はたして見過ごしてくれるだろうか?中流家庭のささやかな幸せ。かわいい愛人。小林はそれらを守るために嘘をつく。 転居した愛人の隣室の大学生・江原達怡が二人の愛人関係を見抜き、強請りにかかる。この大学生もやくざ・小池朝雄に追われており、口論となった挙句に殺されてしまう。今度は小林桂樹が殺人事件の容疑者になる。刑事・西村晃の執拗な追及に彼は先の事件の偽証を告白し、すべてが白日の下に晒されてしまうのだった。 「因果応報」は「黒い画集」に共通したテーマに思える。長く東宝のサラリーマンもので「市井のサラリーマン」を演じ続けた小林桂樹。小太りで横丁の親父風で、中小企業のオフィスには必ず一人はいるタイプ。女子社員にもらったバレンタインの義理チョコのラッピングペーパーをきちんと畳んでとっておく、そんな所帯臭さがピッタリ。その「親近感」がささいな「嘘」によって転落していく様にリアリティを与えている。 「貧乏臭い」とは織田政雄のためにある言葉か?と思えるほど、この映画における織田政雄の「貧乏演技」は素晴しい。先日、わが家のパラボラアンテナをめざとく発見し「衛星受信料」を請求に来たNHKの集金人に驚くほどテイストが似ていた。その地味すぎるほどの「冴えない」「うだつの上がらない」風采はまことに貴重。現代の岡本信人、赤塚真ですら遠く及ばないほどだ(褒めているんですからね)。 むせ返るような現実感に溢れたオヤジ達と違って、愛人の原知佐子は実に奔放である。浴衣に着替えた小林桂樹に冷奴などを食べさせて、子猫のようにじゃれる。季節は夏、親父の汗は暑苦しいが、若い女性のそれはセクシーだ。木造のアパートでホットパンツ姿でテキパキ動く、健康的な肢体には小林桂樹ならずとも、ちょっとそそられる。 警視庁の刑事課長が平田昭彦(様)。瓶底眼鏡で職能的演技がいつもながらの味を出す。 ラスト、社会的な信用も平和な家庭も失った小林桂樹がトボトボと警視庁から出て来る。横断歩道を夢遊病患者のように歩く彼の姿が、ソラリゼーションで浮かび上がる。日常生活にひょっこり顔を出す「転落への落し穴」の怖さを象徴していた。 だが実際のところ、この映画から学び取るべきは「嘘をついてはいけない」ということではなく、ようするに「浮気はいけない」ってことのほうが主題のような気がするのだが如何なものか? あ、浮気も嘘の一つなのか。 (1996年10月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-08-17