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妖刀物語 花の吉原百人斬り


■公開:1960年
■制作:東映京都、東映(配給)
■企画:玉木潤一郎
■監督:内田吐夢
■助監:
■脚本:依田義賢
■原作:
■撮影:吉田貞次
■音楽:望月太明吉
■美術:鈴木孝俊
■主演:片岡千恵蔵
■受賞:オリジナルは歌舞伎の「籠鶴瓶」


 武州佐野で織物商をしている次郎左衛門・片岡千恵蔵は真面目に商売をしていましたが、顔に大きな痣があった為、見合い相手には化け物のような目で見られてしまい独身を通していました。今日もまた見合いに失敗した次郎左衛門を慰めようと、仲間が吉原に誘います。次郎左衛門はそこで遊女の玉鶴・水谷良重に出会います。女にオクテな次郎左衛門に対して玉鶴は「心に痣があるわけじゃないでしょう」と、いいとこついてきたので次郎左衛門は彼女に惚れてしまいます。

 店の金までつぎこんじゃった次郎左衛門に対して、最初は愛想の良かった引手茶屋の女将・沢村貞子でしたが、玉鶴は実はトンでもない性悪で、女将と結託して次郎左衛門から金を搾り取った後、さらなる金持ちのパトロンを見つけてちゃっかり二代目八つ橋太夫の襲名披露を企画してしまいます。

 店を潰し、夫婦約束までして借金の肩代わりをしてやったのに、最後は茶屋をたたき出された次郎左衛門の手には、玉鶴のために古道具屋に売ろうとした守刀の「籠鶴瓶」がありました。

 八つ橋太夫の襲名披露の行列に錯乱した次郎左衛門が斬りこみます。咄嗟のことで逃げ惑う行列の若衆、茶屋の女将らが次々に倒れていきます。吉原の大門に追い詰められた八つ橋を殺した次郎左衛門は「この女はわしの女房だ!」と妖刀を手に空しく咆哮するのでした。

 いつも思うのですが内田吐夢監督の映画って物凄くゴージャス。どちらかというと日本人って侘び寂びだと思うんですが、この監督の色のセンスがちょっと日本人ばなれしているというか、外人から見たニッポンの伝統色というか、とにかく派手。いやらしくなく重厚という表現がマッチすると思うんですが、客の見えるところに予算以上の豪華さを感じさせてくれるので見終わってからとても豊かなな気分になれます。

 蔑まれた立場の者同士が、社会的にあるいは肉体的な弱点をことさら攻撃し、同士を犠牲にして成りあがろうとすることはすなわち差別の構図です。この映画は持ち主を不幸に陥れるという妖刀「籠鶴瓶」をトリガーとして噴出す、そうした弱者の怒りが人間なら誰しも持っている心の闇を浮き彫りにします。

 家形船に乗っての擦れ違いお見合いのシーン。あきらめ顔の次郎左衛門と相手の船が徐々に接近します。可憐で美しい娘と中年にさしかかった男、もしや、ひょっとしたらという男の期待は、痣を見て仰天し泣き崩れる娘の姿でこっぱ微塵になります。やるせない場面ですが、人間見かけより中味だといくら言われても、初対面のエレファントマンを良い奴だと見抜ける人間なんていませんし、遺伝でもしたらどうしましょ?って思うのが当たり前ですしね。

 人から愛されたことがないと人間は臆病になるか偏屈になるかどっちかですが、次郎左衛門はいつも自分を抑制してきただけに一度タガがはずれるともうどうしようもないわけですね。

 玉鶴が本当にイヤな女かというとそうでもないんですよね。元々田舎娘で性格も顔もぱっとしない、みそっかすにされたもんだから次郎左衛門とは心が通い合うものを感じていたんでしょうけど、それはつまり立場が同じだという言ってみれば同士みたいな感情だったんですね、愛情じゃなく。

 女は欲に走り、男は愛を求め、それぞれのすれ違いが生んだ悲劇のドラマです。

1996年09月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17