沖繩の民 |
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■公開:1956年 |
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沖縄・首里の小学校の女教師、佐敷真知子・左幸子は米軍の上陸作戦を目前に、内地への学童疎開を父兄に説いて回ります。自分も乗船するはずだった対馬丸は、恋人の同僚教師、豊平政男・安井昌二と多くの教え子とともに米国潜水艦の魚雷攻撃を受け遭難してしまいます。責任をとって校長・織田政雄は自殺します。 米軍の上陸作戦が始まりました。爆撃のため守礼之門も柱をわずかに残して木っ端微塵になります。防空壕に避難する、老人、母親、子供たち。沖縄の守備軍は撤退に次ぐ撤退を続け、指令部は地方人(民間人のこと)の壕を無理やり供出させ、爆撃の真っ最中に退去を命令します。学生部隊は本隊が撤退したことを知らずに、捨て石となり殆ど全滅しまいました。 残ったわずかな生徒と母親に飢餓が襲いかかります。北部へ避難していた真知子は、危険を犯して米軍のすぐそばにある甘藷畑に潜入します。そこには多くの避難民たち・西村晃らが米軍の歩哨のすぐそばで芋を掘っていました。ついに発見され容赦の無い機銃の犠牲になる人々が続出します。 その死体を掻き分けて真知子は脱出に成功します。これ以上、生徒とその家族を犠牲にしたくないという強い信念です。沖縄は米軍に占領されました。しかし各地に残る防空壕を取り囲む米軍の説得に応ぜず手榴弾で自決する日本兵。もちろん投降させてもらえなかった多くの民間人、女学生・稲垣美穂子たちも巻添えになります。「理解できない!助かるのに!」米軍の通訳、日系二世の中尉・岡田真澄は絶叫しました。 戦争は終わりました。疎開していた生徒たちも帰ってきたました。死んだと思っていた政男は辛くも助かっていましたが、疎開していた内地で別人と結婚していました。バラックのような教室で授業が再開されます。「はやく日本に還りたい」生徒が作文を読む声をかき消すように、米軍の飛行機の爆音が轟きます。沖縄の戦争は未だ終わってはいないのでしょうか。 岡本喜八監督の「激動の昭和史 沖縄決戦」ではあまり描かれなかった民間人の戦争を丹念に描きます。特に戦後になったら「なかったこと」にされている対馬丸の遭難事件の状況も描いています。監督の古川卓巳はまだ無名だった石原裕次郎で「太陽の季節」を撮りホームランかっとばした人ですが、この頃の日活はまだスタアブームが来てませんから、こういう問題作というはちょっと手が出しづらいような意欲的な問題意識の強い作品が作られたんですね。この後、古川監督はこの作品の直後に「人間魚雷出撃す」が公開されてます。戦後10年過ぎて「もういいんじゃない?」っていう解禁のムードも一役買ってるんでしょうけれどもね。 どれだけ残虐な描写をしても沖縄の悲劇は描き切れないでしょうし、リアルにすればするほど寝た子を起こされるようなものですから作り手はなんとかこの事実を伝えるために、観客に「恐怖を疑似体験」させることを思いついたようです。 対馬丸が被弾して沈没するところでは、船底にいた多くの生徒たちがパニックをおこし、せまい梯子段に殺到します。そこへ、本当にプールを一気にぶちまけた様な勢いで海水が注ぎ込みます。 壮絶な爆撃シーンもちょっとこれ、危ないんじゃないかという感じでやってるほうも必死です。爆発で立ち上る土ぼこりが、ちょっと鼻先が見えないくらいに立ちこめます。人形で済みそうなシーンでもきっちり俳優を使ってて、土に埋もれた後、ゴソゴソと動き出すのが迫力満点ありすぎです。 こりゃ撮影中に何人か死んでるんでは?なにせ古川卓巳はこの後、東宝のテレビドラマ「平四郎危機一髪」で宝田明の足を複雑骨折させてしまうのです。見せ場も多いが事故も多い監督ということですね。腹の底にひびくような爆発音、息が苦しくなるほどの土煙。臨場感が伝えるメッセージが百万の台詞より火薬一発という感じです。 激しい爆撃を生き残った女教師と生徒たち。彼女が子供たちを見つめるまなざしが、どこか寂しげなのが印象的です。終戦後、沖縄はさらに長期間、米国領土であり、返還後も全土の多くの土地を米軍に占領されたままの時代が今もって続いている現実が見終わった後、心に重くのしかかってくるのです。 青春を謳歌したり、21世紀から見れば荒唐無稽なテーマ主義の映画を作り始める前の日活映画。 (1996年09月09日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-08-17