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炎上


■公開:1958年
■制作:大映京都、大映(配給)
■監督:市川崑
■助監:
■脚色:和田夏十、長谷部慶次
■原作:三島由紀夫
■撮影:宮川一夫
■音楽:黛敏郎
■美術:西岡善信
■主演:市川雷蔵
■受賞:
 キネマ旬報賞:主演男優賞:市川雷蔵、ブルーリボン賞:主演男優賞・市川雷蔵、同:助演男優賞・中村鴈治郎、毎日映画コンクール:男優助演賞・中村鴈治郎


 昭和19年、溝口吾市・市川雷蔵は京都にある驟閣寺へやってきます。死んだ父親の承道・浜村純から驟閣寺はこの世で一番美しいと小さい頃から刷り込まれて育った吾市は、この寺の住職、田山道詮老師・中村鴈治郎を頼って従徒となります。

 戦後、吾市は米兵にはらまされたとカンカンに怒っているパンパンが驟閣寺に入ろうとしてるのを見て思わずぶっ飛ばしてしまいます。そういうバッチイ人に驟閣寺が汚されると思ったのです。かなりアブナイ状態になった吾市は、古谷大学に通うようになり、内翻足の友人、戸苅・仲代達矢に出会います。戸苅は精神的にダメージ受けてる純粋な人がイチコロになるようなタイプの人でした。

 吾市は自分が吃音であることを恥ずかしいと思っていましたが戸苅はむしろ自慢気で、驟閣寺のことをこき下ろし、吾市が尊敬している住職が実はただのエロジジイであることを吾市に吹き込みます。にわかに信じがたい素直な吾市は頭がパニックになって夜の街に出たところ、なんと芸者といちゃつく住職を目の当たりにしてしまいます。吾市、大ショック。

 おまけに男にだらしない母親・北林谷栄まで吾市に便乗して京都へ出てきますが、世間の汚れた連中に驟閣寺を汚されるのは我慢ならない吾市は家出をして、フラフラしてるところをお巡りさんにとっつかまってしまうのでした。住職と母親に叱られて絶望した吾市は、こんなヤな連中と世間から驟閣寺を永遠に守るために放火します。

 炎上する驟閣寺を見つめる吾市がマキシマムな恍惚感にどっぷり浸かっている反面、住職は心底おびえて「仏罰や、、」とつぶやきます。

 この映画の主人公は市川雷蔵が演じた吾市ですが、見るものにその悪魔的なキャラクターがあまりに強烈だったのは仲代達矢で、主人公以上に引き込まれてしまった人も多いのではないでしょうか。

 言語障害、パラノイア、およそ大スターに似つかわしくないキャラクターです。しかし市川雷蔵は所属映画会社の反対を押し切ってこの役を演じました。実際、市川雷蔵は複雑な生い立ちだそうです。生まれながらの「障害」を抱えて苦悩していくこの主人公と雷蔵さんの間にある種の共感があったのかもしれません。

 夜な夜な繁華街に繰り出す住職の後を追った吾市が、賑やかな人込みにのまれるように歩いている野良犬を見つけます。吾市はなぜかその犬の後を必死に追いかけます。まるで子供のように、何者かに導かれるように。このシーンの雷蔵さんの表情には自分を同じ一人ぼっちの仲間を見つけた嬉しさと切なさが溢れていて本当に吾市とシンクロしてしまったかのようでした。

 撮影は、鹿苑寺の金閣と同じくらい国宝級の宮川一夫です。燃え上がる驟閣寺はミニチュアですが(当たり前ですけど)、モノクロの画面になんとか迫力を出そうと、本物の金粉を大量に舞い上がらせたそうです。それを食い入るように見つめる吾市の恍惚の表情を一層盛り上げて素晴しく幻想的なシーンを作り出しましたが思いっきり予算をオーバーしたため、後で会社から叱られたそうです。

 本作品の原作は三島由紀夫の「金閣寺」ですが、映画への名称の使用に関しては鹿苑寺サイドがクレームを付けたので「驟閣寺」と劇中では呼ばれていますし、作品のタイトルも「炎上」になっています。スタアの雷蔵さんが犯人やるんですからマネされたらたまったもんじゃないって言うことなんでしょうね。

 現実の事件と同様、犯人も最後は自らの命を絶ちます。劣等感と極度の人間不信に追い詰められた貧乏で純粋な主人公の壮絶な犯行の末路にしてはちょっとあっけないんですけれど、仕方ないとも思います。だってまだ関係者がピンピンしてた頃でしょうから、配慮したんでしょう。

1996年09月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17