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ノストラダムスの大予言


■公開:1974年
■制作:東宝映像=東宝映画、東宝(配給)
■監督:舛田利雄
■助監:岡田文亮、坂野義光(協力監督)
■脚本:八住利雄
■脚色:舛田利雄、坂野義光
■撮影:西垣六郎、鷲尾馨
■音楽:富田勲
■美術:村木与四郎
■特撮:中野昭慶
■SFX:富岡素敬、山本武、井上泰幸、池田泰平、田中一清、川北紘一
■主演:丹波哲郎
■寸評:丹波イズムが炸裂する世紀末


 丹波さんの顔で集めたんでしょうか?食生態学の西丸震哉、作家の半村良も技術協力してるんですね。

 たとえば、「日本沈没」の併映は「ハワイ珍道中」だったり「若大将」のときは「美女と液体人間」のだったように、一昔前までの日本映画の多くは二本立てが普通でしたね。併映作品のほうをシスター映画とか言ったらしいですが、まあ早い話が「添えもの、ついで」の映画であることには違いありません。「ノストラダムスの大予言」と「ルパン念力珍作戦」を見に来る観客。それがどのような購買者層をターゲットにしているのかまったく不明ですね。

 ようするにそんだけ暇な人が多かったのか、それともより幅広い観客を取り込まんという営業意欲の現れでしょうか?謎です。

 さて、本題です。人類の終末を予言した「ノストラダムスの予言」を研究している西山良玄・丹波哲郎は環境研究所を主催しています。彼の家は実に親子三代にわたり、「ノストラダムス」を、様々な迫害にもめげず、研究しているなかなかキテる人です。

 公害による地球環境の悪化を訴える彼のもとへ、東京湾の夢の島に巨大なナメクジが出現したという情報が飛びこんできます。生体系の異変、生物の突然変異、奇病の発生、奇形児の増加、それは世界各地に広がっていく前兆なのでした。誤って爆発した特殊ミサイルによりオゾン層が破壊され、巨大なスモッグが首都を覆い蜃気楼を描きました。

 うーん、コレって「首都消失」?いやいや本作品のほうがはるかに先達でありますが、おまけに原作違うし。ところで「首都消失」って出てくる奴が片っ端からアホにみえる珍しいSF映画でしたよね、あ、あれも舛田利雄だ、、、。

 本題に戻りましょう。

 良玄は国会でこれから起こる人類のファイナルカウントダウンについて恐ろしい解説を始めます。地殻変動や異常気象による食物飢饉、空腹のあまり共食いすら辞さないまでに暴徒化する人間、なりふり構わぬ核兵器の使用。世界中のあらゆる都市が破壊され、地表は核に汚染されて行くのです。人類が滅亡したあと、焦土の下から新しい種族が誕生します。それは頭部が水膨れのようになった、二目と見られぬ醜い姿に成り果てた人類の「子孫」なのでした。

 「被爆した新人類」の造形があまりにもグロテスクだったのと、「人喰い」シーンが残酷すぎるということで、封切早々カットされた逸話がありますが、筆者はちゃんと観ました。そのほか諸般の事情により国内では今や完璧に封印された感のある映画ですがカルトな上映会をマメに探せば今でも見れます。

 舛田&丹波は「人間革命」以来の名コンビです。「人間革命」は日蓮を始めとする宗教上の聖人たちが巻き起こす天変地異の数々を特撮で見せるというまるで「日蓮と蒙古大襲来」「釈迦」などハリウッドもびっくりなエンタテイメントを放った往年の大映を思い出させるようなスペクタクル映画でした。

 丹波哲郎を宗教家から内閣総理大臣にスライドして制作したのが「日本沈没」ですが、これが石油ショックの世情にマッチして大ヒットしたもんですから、さらにイケイケになった東宝が、やめときゃいいのに三匹目のどじょうとして制作したのが「ノストラダムスの大予言」です。制作当時、丹波哲郎は舛田利雄に「この映画がヒットしたら、監督の肖像画がコインになるぞ!」と映画の「意義」を吹聴していました。

 しかし映画はヒットしませんでした。ニューギニアで空腹難民の餌食になるフランツ・グルーバートニー・セテラは食われ損だし、被爆後の新人類というとんでもない格好をさせられて舛田監督と記念撮影までした子役二人、いずれも上映後瞬く間にカットされてしまい気の毒だったらありゃあしません。そういうキワモノ的な部分以外でも、平田昭彦(様)小泉博志村喬という東宝特撮ファンの琴線に触れる素晴らしい出演者で見ごたえある映画であるにもかかわらず、コケてしまったんですね。

 天変地異の特撮は日本一の火薬馬鹿・中野昭慶先生の大盤振る舞いで派手だし、お色気方面もいしだあゆみじゃなくて充実度アップの由美かおるだし、藤岡弘と毛深さなら負けない黒沢年男を呼んできて映画としてはよくできてんですけどねえ。庶民を脅迫しまくった「日本沈没」と違って、どこの馬の骨だかわかんない西洋人の詩みたいなものを後世の人間が無理やりこじつけて予言書だと公言している「ノストラダムス」ですからねえ、全然共感できないっていうかなんていうか。

 カルト集団が岸田今日子の地の底から涌き出るようなナレーションと冨田勲のシンセサイザーに送られてにぎにぎしく登場したり、子犬ほどに成長した奇形ナメクジが電動モロバレで由美かおるに迫るところなんかおとなのおもちゃみたいで大爆笑してしまいました。いくら金があってもセンスの無さは致命的ってことですかね。嫌いじゃないですけど。

 物語は国会で証言する丹波の「ありがたいご高説」を賜わったところで、内閣総理大臣・山村聡が深く反省し、公害撲滅を約束して良玄たちが、国会をさわやかに後にするところで終わります。「人間革命(続、含む)」→「日本沈没」→「ノストラダムス」と、丹波哲郎が神がかるのに東宝は一役も二役もかったわけですね。

 そして、今、丹波哲郎はもちろん、舛田利雄の肖像を刻印した貨幣はどこの国にもありません。本作品をもって一旦は大災害映画から手を引きかかった東宝は、東海大地震パニックに乗じて「地震列島」で一儲けを企みましたが、これも失敗に終わりました。やはり人の不幸でご飯を食べるのは難しいんですね。

 世捨て人になって巡礼の旅に出る老人・浜村純の娘役で麻里とも恵(現・阿川泰子)も出てきます。「メカゴジラの逆襲」といい本作品といい、なかなか立派なフィルモグラフィーですね。

1996年09月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17