女番長 野良猫ロック |
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■公開:1970年 |
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フーテン(瘋癲)というのは辞書によると「精神病」(俗語)だそうですね。ってことは「フーテン娘」とか「このフーテン野郎」とかいうのは放送禁止か自粛用語になっちゃいますか。それはさておき。 まだ都庁も副都心(一部建設中)もアルタもヨドバシカメラも無かった新宿を舞台に、右翼団体を隠れミノにした広域暴力団とスケバン・グループがボクシングの八百長試合をめぐって対立します。そこへ流れ者の「男勝りの大女」が加わりスケバンのリーダーとその彼氏が惨殺され、暴力団も手先のグレン隊と幹部を失います。 アコ・和田アキ子のセールスプロモーションみたいな映画、みたいじゃなくてそのまんま。途方もなく老けた男女の不良、だってユリ子・范文雀とか花子・十勝花子とかですから、が社会から疎外されてアナーキーに大活躍する野良猫ロックシリーズですが、本作品だけは日活の制作ではなくホリプロ制作です。 彼女はブルーのGパンとGジャンで颯爽とバイクを乗り回します、当然ですが全面的に吹き替え。スケバンのメイ・梶芽衣子がケンカの現場に駆けつけるため和田のバイクに乗せてもらいますが、ヘルメットを脱いだアコを見たメイに「あんた女だったの?」と驚かれてしまうんです。本物のお嬢さん育ちであるメイの気持ちはわかりますがなんて直球な台詞でしょうか。当時「女番長アッコちゃん」と呼ばれていた和田アキ子ですがいくらなんでもあんまりな、けど、爆笑。 メイの恋人、矢上道男・和田浩二は「いつかでっかいことをやってやる」が口癖の、ヤサ男です。学歴も腕力もない彼は知力で世間に見とめられようとするわけですが生来のエエカッコしいなので結局は権力のとりこになり、親友に八百長試合を唆すまでに堕落した挙句に、やくざに利用されて捨てられます。 このようなある意味軟弱な道男に対して、暴力団に小遣いもらってスケバンの皆様を早朝のゲリラロケで新宿の街を四輪バギーで追いかけ回すグレン隊のリーダー勝也・藤竜也(角刈にアーミールック、野良猫ロックシリーズではコレばっか)の「強い者には巻かれろ、札束には切られろ」というコンセプトは実に明快です。 アコはとっても男らしいので、八百長試合を結果的に断って奮戦する混血のボクサー、ケリー藤山・ケン・サンダースがボコスコに殴られて倒れたのを見て「恥知らず」だの「立てよ!男だろ!」と情け容赦なく叱咤激励します。男らしい女、ではなく、男らしい男なのが凄いです。 そんな大人になれない子供たちとは違って、立派な大人の不良である青勇会の幹部、権藤・中丸忠雄は日活のニューアクション世代の皆様とは明らかに一線を画します。実年齢がわずか1歳しか違わない配下の花田・睦五郎を子供扱いし、世間知らずの若者たちを立派な右翼青年に教育すべく魅惑の低音で洗脳するのです。 「野良猫ロック」には「あいのこ(混血)」は、戦後の混乱期に生まれた子供がちょうど青年として成長したころで、ベトナム戦争たけなわとなり、あやふやでいいかげんでシラケた世界観を最も象徴するキャラクターとして登場します。中途半端な存在故にどこの世界にも住めなくなった不幸な境遇に当時の若い衆はなんとも言えない共感のようなものを覚えたのでしょう。 メイは八百長試合の失敗で多額の負債を青勇会に背負わせたので、怒り狂った花田たちにころされた道男の仇をとりに事務所へ行きます。しかしその前に、権藤に謹慎くらってむかついた花田が勝也をぶっ殺していたので、結局はメイは相打ちながらも花田だけを倒します。 朝もやの中、ラリパッパの女と二枚カミソリを凶器にしていたナンバー2のユリ子に見送られたアコが自分で歌う「シュビドゥワー」な主題歌をバックにバイクに乗り(もちろん吹き替え)まるで「シェーン」のようなカッコイイ後ろ姿で新宿を去っていくのでした。 なにせメインを張るはずの和田アキ子がまるで芝居ができず単に体がでかいだけだったためにモッチャリした作品に仕上がってしまったのが致命傷でしたが、若者たちがバカスカ死んでしまうのに、闇の権力者は下っ端一人殺されただけで全然平気という、暴力と流血の後のアンニュイな脱力感がなんとも言えない余韻を残します。 今や不法滞在の外国人同士の「国際紛争」が日常茶飯事となってしまった「裏国際都市・新宿」だが昔は「日本の若者」が青春していたまっとうな場所だったわけですね。ゴーゴー喫茶でアンドレカンドレ・井上陽水や、モップス時代の鈴木ヒロミツが長髪にバンダナでサイケしているのも時代を感じます。この映画が生臭さを脱しきるまでにはまだまだ時間がかかりそうですね。 (1996年06月03日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2005-03-10