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独立愚連隊


■公開:1959年
■制作:東宝
■監督:岡本喜八
■原作:
■脚本:岡本喜八
■撮影:逢沢譲
■音楽:佐藤勝
■美術:阿久根巌
■主演:佐藤允
■寸評:岡本喜八監督と三船敏郎は戦争直後、ひとつ屋根の下に住んでたとか。


 広い草原のまん真中、一人の男、従軍記者の荒木(実は大久保軍曹)・佐藤允が馬にまたがって疾走していきます。ここは北支戦線で、彼はそこで孤軍奮闘している部隊に取材をしに行くところでした。部隊長の児玉大尉・三船敏郎は数ヶ月前、城壁から転落して頭がパーになっていたため、部隊の実権は副官の藤岡中尉・中丸忠雄が掌握していました。

 荒木はそこで独立愚連隊という小隊に遭遇します。彼らは戦死公報が出た後でひょっこり帰ってきてしまったので、すでに員数外。そこでいつ死んでも誰も困らないということになり危険極まりない最前線に回されていますがいまだに誰も死にません。小隊長の石井軍曹・中谷一郎、以下、兵長・江原達怡、神田一等兵・桐野洋雄、白井一等兵・中山豊、細川一等兵・山本廉など個性豊かな隊員ばかりでした。

 藤岡中尉は捕まえた中国人ゲリラ・沢村いき雄をオモシロ半分に射殺するような奴ですが射撃は下手糞でした。荒木はそこで中国人慰安婦と心中した見習い士官・上村幸之のことを調べに来たようです。慰安婦のトミ・雪村いづみは荒木のかつての恋人で、彼の正体は見習い士官の実の兄でした。

 公金横領の事実を伏せるために大尉を突き落とし、荒木の弟を射殺したのは藤岡中尉でした。身元がばれた荒木はいったんは捕まりそうになりますが、命を助けてやった軍旗旗手の丹羽少尉・夏木陽介と、物資輸送トラックの運転手・ミッキー・カーチスの助けを借りて藤岡中尉を射撃の的と一緒に蜂の巣にします。そこへ八路軍がなだれ込んできました。

 独立愚連隊は奮戦しますが、全員戦死します。爆撃の中でトミも死にました。荒木は生き残り、ひょんなことから知り合った馬賊の首領・鶴田浩二とその妹・上原美佐に助けられます。馬賊入りを薦められた荒木でしたが、また同じように組織に束縛されることを嫌った彼は、平原の彼方に去って行きました。

 前半のミステリアスな復讐劇と愚連隊のメンバーを含めた出演者のキャラクターが豊富でとてもにぎやかです。なんといっても副官に突き落とされ「頭がパーになった隊長」の三船敏郎というのが、まことに珍しいというか驚きます。陣地内の小川で洗濯している慰安婦めがけて城壁の上から「敵襲ー!」と日がな一日叫ぶのですが、洗濯している彼女達から完璧に無視されてしまいます。こんな三船敏郎は他の作品では絶対に見ることはできないでしょう。

 R・ウイドマークそっくりの迫力フェイスの佐藤允をはじめとして、原則的にいつも正体不明のミッキーカーチス、味おやじ系の中谷一郎、とぼけたチンピラを演らせたら東宝一の中山豊、撃たれても死なない不死身の中国人ゲリラ沢村いき雄、嫌味で尊大でキザな極悪人の中丸忠雄など、主な出演者の殆どが当時20代(沢村いき雄は除きます)だったはずですが、楽勝で30代後半に見える迫力ある御面相です。

 東宝といえば、技術者出身の創設者に由来する都会的なスマートさがウリなんですが、それってこの映画の出演者には全然当てはまりませんね。

 岡本喜八監督は戦争を茶化しているのでは決してありません。それは愚連隊のメンバーへの愛着によく表出しています。あの戦争で無差別に殺された多くの人たちへのメッセージ、それが涙に流されていない。ドライと思えるほどの喪失感、絶望感、あんなにイイ奴らのことを忘れないでほしいという強烈なアッピールが聞こえてくるのです。

 悲しいものを、ただ悲しいと言うだけなら誰にだってできるのです。

1996年08月10日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2003-08-17