「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


私は貝になりたい


■公開:1959年
■制作:東宝
■監督:橋本忍
■助監:
■脚本:橋本忍
■原作:加藤哲太郎(遺書)
■撮影:中井朝一
■音楽:佐藤勝
■美術:村木与四郎
■主演:フランキー堺
■寸評:「よさこい節」をアレンジした主題曲が泣ける。ブルーリボン賞・助演女優賞・新珠三千代


 本作品はテレビドラマとして放送されたものを劇場公開用映画にリメイクしたものです。モチーフになった遺書についてトラブルがあったらしく、原作・橋本忍、遺書・加藤哲太郎とテロップされます。

 太平洋戦争の末期、高知県で妻・新珠三千代と一緒に床屋を営む清水豊松・フランキー堺のところに召集礼状が届きます。

 豊松は生来のお人よしなので非人間的な軍隊ではヘマばっかしていて立石上等兵・小池朝雄に目をつけられてしまいます。ある日、豊松の部隊の近くに米国機が墜落し二人のパイロットが捕虜になるという事件が起きました。

 戦意高揚のため部隊長・南原宏治(当時・伸二)は捕虜を銃剣で刺殺するよう命じます。すでに絶命していた捕虜目がけ豊松は必死に突進しました。戦後、高知に戻った豊松のところにMPと警察がやって来て、豊松は戦争犯罪人として逮捕されました。罪状は「捕虜虐待」。豊松に下った判決は死刑でした。

 残された妻と子供の事を案じた豊松は「今度生まれ変わるならもう人間になるのは嫌だ、私は深い海の底の貝になりたい」と遺書を残して処刑されていきました。

 近年、テレビでリメイクされたのを見て感動した、という人はただちに、本作品を見てくださいね。情緒性においてまるで比較にならないくらい、映画のほうが、そしてオリジナルのテレビ作品のほうが胸に迫るできばえであることに気がつくでしょう。

 フランキー堺と同房になる若い将校を演ったのが中丸忠雄でこれは設定も良かったんですがとても印象に残る役どころでした。おまけに大先輩の原節子さんに直接「あなた、いいわよ」と誉められたんだそうです。将校は妹が差し入れてくれたという聖書を手にしているのでたぶんクリスチャンなんでしょうね。いつも物静かで豊松にいろいろと世話を焼いてくれます。おそらくはただ一人の(生き残った)身内である妹を残して死ななければならない彼の「嫌な時代に生まれて嫌なことをしたものです」という台詞に、観客は彼(と豊松)に深く共感できるのです。

 豊松がいよいよ処刑される日、教戒士がやってきます。これを笠智衆が演じました。豊松は一言も声を発しません、押し黙り緊張しています。笠智衆が豊松の肩に手を置いて慰めようとした瞬間、豊松は教戒士の体にしがみつくのです。それは豊松の執念であり未練です。母親に泣きすがる子供の様でもありどうしようもない運命に対する最後の抵抗です。しかし豊松の腕は静かにふりほどかれてしまうのです。

 圧倒的な絶望感に、豊松と観客は包まれます。

 最後まで豊松を弁護してくれた矢野中将・藤田進が処刑されたことには疑問を抱きませんでしたが、戦地で指示を出した上等兵は実行犯ではないからと死刑を免れていて、なんという矛盾だろうかと、怒りすらこみ上げてくるのです。

 あくまでも美しく無垢な豊松の妻、父の帰りを信じて平和がおとずれた浜辺を全力で駆けて行く豊松の長男。その姿に「今度生まれてくるときは房枝(妻)や健一(子供)のことを心配することもない、深い海の底の貝になりたい」というフランキーのナレーションがオーバーラップします。

 当時、日本全国にたくさんいたであろう「清水豊松」すべてにこの映画は捧げられているのですね。戦争が個人の幸福をいかに残酷に略奪するのか、この映画はじっくりと語りかけてきます。

1996年08月23日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17